凶暴性を増す社会

よもやま話

ネットにいるおかしな人に心を乱されないような論理を構築していきます。

下のツイッターの彼は僕を「笑える」と攻撃してきたので、僕はその内容をアレンジして同じ論理による反撃を彼に行いましました。

そしたら「あなたはネットに自ら公開している以上、常に批判は受けて然るべきだ。なのにやり返すなんて信じられない」などと自分だけはネットに存在していないかのような論理を展開してきたので下のツイッターの画像のように返答しています。

彼は自らの主張が二言目には矛盾してしまったことにすら気が付かないレベルの論理性しか持ち合わせていません。その程度で他人を批判しようなどという無知なのか度胸なのか、それは認めてあげたい。

ところで、批判のために彼を選んだのは偶然です。くだらない誹謗中傷は頻繁にありますので。あえて彼を攻撃するつもりはありません。あくまでも啓蒙、警告的な意味でやっています。

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大衆化社会の末期

ネットに溢れる体の大きな子供

彼らはネットに居る人に心があることすら想像できない程度の知性しか持ち合わせておらず、故に匿名による卑怯極まりない上記のような狂った感情論による攻撃が行えます。きっと僕以外の人にも同じような誤謬による攻撃を加えて傷つけているのでしょう。

僕は彼ら悪臭の正体を突き止めようと心理学や社会学、また歴史の本にあたりました。そして少しづつ悪臭が立ち込める場所が分かってきました。彼らは文明の末期に必ず登場する、文明を破滅に追いやる危険な人種です。

彼らは人が構築する社会構造(人の群れ)が持つ普遍的な性質から演繹されます。原始時代の小さな群れでなら有益に機能したであろう個体の性質が、大きな人類文明というシステムに組み込まれた途端に致命的なエラーを起こしているのだと予想しています。古い規格のハードウェアを合理化するためにOSに組み込まれていたちょっとしたプログラムの工夫が、新たなハードウェアへの移行に伴い致命的なバグを起こすあれです。
歴史的にはバブルや戦争のような、言ってしまえば一発逆転で秩序をひっくり返そうとする虚構に市民がその本分を忘れて熱狂し、その結果として社会全体が暴走し最終局面では暴力による崩壊へと向かいます。

今は最終局面の一つ前。傾向として現れるのは「パンとサーカス」からのインフレ。
堕落し凶暴化した大衆を恐れた政府がその延命を試みて大量の貨幣供給を行います。また政治が民主主義的に自国民の利益のみを優先する方向へ舵をきります。
物価の下押し圧力のあるグローバリズムの終焉とジャブジャブの貨幣による物価上昇圧力が発生しインフレが起こります。
へリコプターマネーと安く簡単に消費できるエンタメに市民が溺れ、秩序が崩壊し始めた社会を古代ローマのユウェナリスは「パンとサーカス」と揶揄しました。

文明の基礎を築いてきた先人たちが好んだのは膨大な時間と労力を捧げて築き上げる哲学や芸術といった創作でした。そして消費者もそれを時間をかけて解釈し生活へ取り込むことでその水準を高めていくことができたのです。

今はどうでしょうか。手間暇をかけた本当に良いものは見向きもされず、すぐ作ってすぐ消費するのが正義とされているような気がしてなりません。時間をかけて丁寧に創り上げた、真の哲学や美学を理解し楽しむ知性が社会から急速に失われているのだと思います。派手に壊れるのを楽しむ。まるで僕の娘が積み木を壊して遊ぶ様に。

パンとサーカス

言ってしまえば現代は二世議員や二世社長。
先代の遺産を食い潰して生きている状態です。

甘やかされた子供のように豊かさだけを要求し、豊かさの土台となる文化や文明、社会への敬意と奉仕を怠る人種が蔓延った結果、崩壊が始まり、その対応策として暴力が選択されます。彼らは文明が自然物で、何の努力もなしに存在しているのだと錯覚しているからです。
歴史の連続性を理解しないから自由や平等、平和がどれほどの屍の上に成り立っているのか、そして社会という相互扶助がそこに住む個人に対してどれほどの奉仕を要求するシステムなのかを想像できません。自然物として、ただそこに常に在るものとして受け取るのみです。

大衆化社会に住んでいると「そんなの当たり前じゃないの?いっぱい居るけど」と感じるのかもしれません。
しかしそう感じることが文明の末期なのだと僕は予想します。「ヤバイ奴らが生まれてきた」と古くはローマ時代のユウェナリス、近代はニーチェやオルテガなど多くの賢人が社会の変化にいち早く気がつき、それを言及しています。
人の質が変わり社会を危険な方向へ導いていると。

甘やかされ、葛藤なく育ちアイデンティティを獲得できなかった大人、つまり善悪の基準が社会の監視の目から与えられるような、匿名によるネット上の誹謗中傷を肯定するような空っぽの野蛮人は、思想の入れ物として機能します。
そんな野蛮人が増えた社会に大衆迎合的な国粋主義を掲げる指導者が登場し、彼らに過激なアイデンティティを提供したとしたら。想像に容易いですよね。
過激な政治的スローガンが掲げられたら最終局面です。
ユダヤ人資本家が諸悪の根源と主張するナチスのホロコーストはその典型です。フランス革命や明治維新も同じ。一部の未来を見据えた英雄がいた一方で、殺しをアイデンティティとする危険な人種が溢れたのも事実です。

とにかく人類文明の性質から演繹される人種がいるわけです。そうやって彼らの罵詈雑言を理解できると「風が吹くと埃が舞う」を理解するのと同じように、ただの自然現象として「ああ末期だなあ」と捉えられるようになります。風で埃が舞うのは当たり前で、それには腹は立てませんよね。無心で掃除するだけ。

彼らは資本主義社会と情報化社会、科学の進歩が生み出した善意への敬意、信仰が欠如した存在です。
ニーチェが言うように「神は死んだ」のです。

大衆化社会と民主主義は共和制ローマに代表されるように歴史的に見て、最悪の相性です。

まあとにかく、人類のバグを取り除かないことにはそれがグレートフィルターとして機能し、人類は先に進めないのだと思います。論理的に人類は自滅以外の結論はないだろうってことですね。社会批判で憎悪を垂れ流すのはこの辺にしておきましょう。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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