ボクシングを定義する

戦略

「クラウゼヴィッツ戦争論」という本をボクシング教室に参加して頂いだ方から頂きました。因みにクラウゼヴィッツは孫氏に並ぶ戦争論の権威なんだとか。

クラウゼヴィッツはまず戦争を「我が意志を強要することである」と定義します。

この定義は「戦いはコミュニケーションである」とする僕の定義と似ていますね。

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戦いはコミュニケーション

長濱説

長濱説におけるコミュニケーションとは群れにおける序列争いのこと。
会話やSNSでの発信もその方法の一つに過ぎません。マウント合戦は社会性動物の必然。

集団の問題解決の為の議論以外(狩り以外)は基本的に「俺の序列は高い、従え」という言外の命令の応酬になっています。僕がやっているのも群れでの序列を高める行為。

ボクシングの攻撃では相手を屈服させ「俺に従え」という意思を示さなければならないし、相手はその意志をディフェンスによる態度で否定しなければなりません。ただ上手いだけでは駄目で、戦いでは堂々とした威厳が伴っていなければならないんです。

ルール上はポイントの奪い合いで、技術を競っているように見えますが、その外見に騙されてはいけません。

僕がボクシングをコミュニケーションと定義したのには理由があります。

あなたの定義をしよう

前提が変われば結論が変わってしまうので、問題解決においはその定義が最も大切です。議論の対象の定義を間違えてしまえば、仮にその証明が論理的に正しかったとしても現実的には何の役に立ちません。

ボクシングを定義できなければ強くなるための論理を構築できません。
またその定義が正しくなければ、結論までの論理が正しくとも強くなれません。

僕はボクシングをコミュニケーションと定義しました。
それを前提として、強くなる為の、勝つための練習を導き出します。

パンチ力をどう定義するのかでも練習が変わります。
才能(ポテンシャル)をどう定義するのか、技術とその学習をどう定義するのかで、導かれる結論(練習)は根本的に異なるものになります。

このブログで紹介しているのはあくまでも僕の勝手なボクシングの定義と、そこから導かれる練習や技術の長濱説です。
僕は僕が正しいとは思っていませんし、間違えていればすぐに身を翻し、正しいと感じた方へ乗り換えます。僕の言うことをあまり盲信してほしくありません。

あくまでも僕は僕の知力、胆力、信念を試す為に、また自らの利益追求の為にYou Tubeやブログ、SNSを行っています。
しかし同時に、これらの行為を足がかりとして、読者のみなさんが独自の世界観、価値観を構築することを願っています。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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