「超人」「仏教」「貴族」という生き方

よもやま話メンタル

仏教の言う「繋縛」はガルウェイの言う「セルフ1」、ニーチェの言う「末人」であり、オルテガの言う「大衆」、ウォシャウスキー兄弟の「マトリックス」。
仏教の「解脱」はガルウェイの言う「セルフ2」。ニーチェの言う「超人」であり、オルテガの言う「貴族」ウォシャウスキー兄弟の「真の世界」。
僕の知識が繋がり始めました。

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超人たれ

自分の主人となれ

超人、悟り(解脱)、セルフ2、貴族。
これらは社会から与えられた強迫観念を捨て、自らの人生の主人となった人達を指しています。
心理学で言う「『自我同一性 = アイデンティティー』を獲得した人達」。アイデンティティーとは「自分が何者であるのか(価値観)」ということを自然発生的(無意識下)に自覚し、自分の中にある自分の価値観と他者から植え付けられた価値観を分けることです。
「自らの人生の困難を自ら引き受ける人」とも言い換えられます。

心の中を覗いてみてください。「仕事観」「人生観」「労働観」「倫理観」…などなど。それらはあなたが自らの手で創り上げたものでしょうか?それとも社会から植え付けられたもの?
どうしてそれが大切なのか、論理的にそれらが成立した課程を説明できますか?大半は突然現れた価値観ではないでしょうか?

こうやって自分の心の中を俯瞰すると、ありとあらゆる価値観を社会や他者から、もしくは自分自身(理性 or セルフ1)から植え付けらていることに気が付くはずです。
そうやって社会から与えられた強迫観念に支配された人達をニーチェは「末人(まつじん)」、オルテガは「大衆」、ブッダは「繋縛(けばく)」、ウォシャウスキー兄弟は「マトリックス」と表現し、そこから抜け出すことを推奨しています。

ただし、超人や貴族、仏教、NEOという概念は「生き方 = 課程」を指すであり「個人 = 結果」を指す言葉ではありません。僕はそう解釈します。真に執着心を捨て、自らの理想だけを追い求めることのできる完璧な人間はいませんから。愚かさもひっくるめて自分なのだと受け入れ、たどり着くことのない理想像へ向かい進み続ける僕達を激励していてくれている思想なのです。

肉体のセルフ2の声に従う生き方が「フロー」であり長濱拳法なら右脳が覚醒した「完全に主観的な体験」な生き方。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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