長濱説

よもやま話

ボクシングは哲学だ

判断の連続がボクシング。判断の源は哲学。つまり、ボクシングとは哲学。 自らの哲学を持つ 哲学が判断を作る 【哲学】世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追求する学問。 とらわれない目で事物を広く深く見るとともに、それを自己自身の問題と...
よもやま話

唯物主義と競争社会の反動

サムネの画像は「時計じかけのオレンジ」という僕が好きな狂った映画の一場面です。今回、70年代が生み出した傑作を再視聴して「やっぱりそうじゃないか」と感じたことをつらつらと垂れ流します。歴史は同じことを繰り返してるとする長濱説です。 正しい生...
よもやま話

凶暴性を増す社会

ネットにいるおかしな人に心を乱されないような論理を構築していきます。 下のツイッターの彼は僕を「笑える」と攻撃してきたので、僕はその内容をアレンジして同じ論理による反撃を彼に行いましました。 そしたら「あなたはネットに自ら公開している以上、...
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よもやま話

ニーチェ「神は死んだ」

ニーチェのツァラトゥストラの物語は「神は死んだ」から始まります。現代社会の僕達の姿を予言、風刺した含蓄のあるの表現だと感じます。 オウム神理教の影響や戦後のアメリカ統治の影響からか、日本人は宗教観を持たないどころか(無自覚には持っているが)...
よもやま話

「超人」「仏教」「貴族」という生き方

仏教の言う「繋縛」はガルウェイの言う「セルフ1」、ニーチェの言う「末人」であり、オルテガの言う「大衆」、ウォシャウスキー兄弟の「マトリックス」。仏教の「解脱」はガルウェイの言う「セルフ2」。ニーチェの言う「超人」であり、オルテガの言う「貴族...
メンタル

客観 & 熟慮 vs. 主観 & 直感

「インナーゲーム」シリーズ続きます。ガルウェイは明言していないのですが、僕なりの解釈でインナーゲームの本質を抜き出すなら、それはタイトルの通りです。「客観 & 熟慮 vs. 主観 & 直感」。 客観 &熟慮 vs. 主観 & 直感 集団の意...
メンタル

デイビッド・ベナビデス vs アンソニー・ディレル 戦いのコミュニケーション

最近ベナビデスのハイガードを研究していて感じるのですが、この男は不気味です。まさにメキシカンモンスター。狂気を感じます。 それにしてもクロフォード然り、アメリカ人はコミュニケーション、ジェスチャーが上手いですね。多民族、多人種が入り混じる歴...
技術

手打ちver3 肩甲骨と上腕の連動

手打ちver3は感覚的と何となくは理解しているのですが、詳しく説明するのが難しい。と言うわけで思いつくままに少しづつ解説していきます。ちなみに手打ちver3は肩甲骨の外転を強調させる「骨格立ちver2」が前提となります。 この投稿をInst...
戦略

敵の戦略を無力化するための対応力

クラウゼヴィッツ兵法には敵の「重心」を攻略する、という考え方があります。重心と言っても力学的な意味ではなく、クラウゼヴィッツ流の定義となっています。 敵を無力化する為の対応力 クラウゼヴィッツの重心 厳密な定義はなくなんとなくの説明でしたが...
よもやま話

SF小説「ソラリス」と攻殻機動隊

時間があるので若い頃読んだ小説を再読。読む時期、心境によって違った印象にしてくれるのが僕の定義での面白く味わい深い芸術作品です。ジブリ作品の印象が子供の頃と変わっているように。味わい深い作品は本来のストーリーの裏に暗喩的に本題が隠されていま...
戦略

ボクシングを定義する

「クラウゼヴィッツ戦争論」という本をボクシング教室に参加して頂いだ方から頂きました。因みにクラウゼヴィッツは孫氏に並ぶ戦争論の権威なんだとか。 クラウゼヴィッツはまず戦争を「我が意志を強要することである」と定義します。 この定義は「戦いはコ...
メンタル

強い自信と弱い自信

今、選手にどうやって主体性を持たせるかで悩んでいます。自信は自分の世界を生きていく覚悟を決めることで、そのためには自分の世界観を構築しなければなりません。世界観や価値観が無ければ主体的には行動できません。僕の世界ではなく彼ら自身が信じる世界...