まずは今回のバカの説明に用いる認識の規則。
「なろう」と「あろう」の言葉(≒認識)の現実への作用を説明します。
例として「強くなろう」と「強くあろう」。これらは完全に異なる現実への作用を持ちます。
「強くなろう」は、不確実な未来が焦点であり、それは願望や希望を暗黙的に包含します。これを言う人は恐らく、自分では何もしません。誰かがそうしてくれることに期待します。
「強くあろう」は、今が焦点になります。「今やるべきこと」が、すなわち自分の行動のみが焦点となり、願望を遠ざけます。
強敵とのスパーリングを想像してください。
「強くなれる」のかどうかは相手と自分の力量が決める結果です。つまり、ただの「そうあってほしい」という願望の域を出ません。
「強くあろう」は、未来の予測不可能な結果と今を切り離します。無価値な願望を遠ざけて、スパーリングの最中の「何をすべきか?」に意識が向かいます。
幸せになろう。金持ちになろう。
空想へ意識を向ける現実逃避でしかありません。今やるべきことに集中できない人が、結果を引き寄せられる理由はないのす。
バカはこの思考法則に従います。
常に願望止まり。
「強くなろう(誰かにそうしてほしい)」
自分自身の依存心を認知せず、常に誰かに期待し責任転嫁しています。
給与が上がらないのは政府(会社)が悪い、成績が上がらないのは上司が悪い、ジムが〜、親が〜、夫(妻)が〜…などなど。
バカは「誰かに自分の現状を改善してほしい」という、無自覚の幼児性に支配されていると推理できます。
「〜なろう」「〜しよう」は未来の願望であり、暗黙的に幼児性(他人任せ)を包含する言葉です。
大人の決意は今を焦点とする「今、〜する」です。
バカにならない為には「今、できる限りにおいて賢くあろう」が求められると考えられます。
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