世界が、まるで誰かの意思(陰謀)に操られている、と錯覚してしまうことってありますよね。
しかし、そう思いたい反面には、様々な資本家(権力者)の利害が絡む世界経済において、陰謀論のような合意が生まれるというのは考え難い、という理性の声があります。
以下は、あたかも世界が陰謀に支配されているように見えてしまう現象への長濱説です。
リベラルと保守
人の思想は大まかには、リベラルと保守に分けられると思います。左翼と右翼、全体主義と個人主義と言うと馴染みやすいかも。語弊を恐れずに言えばリベラルは持つ者(知能的強者)、保守は持たざる者(知能的弱者)です。
最近は色んな問題が複雑に絡んでいるので、一括りに語るのは難しく感じます。が、根本にあるのは上記の対立だと考えています。
政治、経済、歴史は待つ者と持たざる者の綱引き、という認識がなければ、その理解は難しく感じます。
恐らく、傾向としては知能的強者はリベラルを、知能的弱者は保守を好むだろうと予想します。
制約のないリベラルな世界であれば、知能的強者の能力への足かせは保守的なそれよりも遥かに小さく、必然的に彼らの権力は最大化されます。
実際に知能的強者は、彼らにとってのリベラルな理想郷を作っているように見えます。
人の住む世界における強力無比な能力を用いて知能的強者は他を圧倒し権力を掌握します。
彼らには、そこへたどり着くまでに、「自らの能力が伝統や常識という社会通念に縛られている」、と感じる経験が蓄積されているだろうと想像されます。
彼らはその経験を元に思想を形成します。
それは、民族や人種、国境、性別などの人の能力を抑制する非合理な価値観はない方が良い、というもの。
もしかすると、それらを憎悪すらするのかもしれません。例えば、民族紛争に巻き込まれて大切な若い時間を棒に振ったという経験は、国境や民族という古い枠組みを憎悪させるだろうと思います。ホロコーストなどの民族浄化の歴史を知っているか経験しているなら、その思想はかなり歪んでいるかもしれません。
知能的強者は国境や民族、人種、性別などの個人の可能性を制約する観念を取り除こうとします。
もちろん善意です。良かれと思っています。可能性のある若者を彼らが経験した地獄から解放する為です。
社会的な必然性として、知能的強者は無意識下で彼らの思想を共有してます。
思想を共有しているが故に、社会に起こる様々な事件への解釈とそれへの対処法が一致するわけです。陰謀論という合意があるように見えてしまうのです。
暗黙的に共有されている思想が、影の政府の陰謀のように見える、という結論です。
知能的強者が破壊しようとする所謂共同体は、知能的弱者には必要なものです。僕を含めた大半の人は、自分の能力だけで大金を稼ぎ、自由を手にすることができないからです。
弱者に必要なものを善意から排除したい強者。それに抵抗する弱者。善意の対決が血みどろの結末を導いているわけです。世界史と経済史はこの構図に見えます。
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