弱さを認められない弱さと正しさへの執着
弱さと依存心
客観的な正しさを実践していれば、失敗しても責められないと思ってる。正しくやっていれば自分が下手なことを笑われた時の言い訳にできると思っている。
自分の依存心を認められない弱さに付け入られて、「正しさ」って免罪符を高く売りつけられる。
搾取の基本構造。
古くは信者の弱さに付け入ってローマカトリックが高額な免罪符を売りつけました。
下手なのを他人に笑われたくない。だから正しさを演じて(媚びて)誤魔化す。
「下手だけど笑わないでよ。正しくやろうとはしてるんだから」
って。
笑う奴は笑わせて置けばいいですよ。
それは「今に見てろ」って強い動機に変わります。
それに、他人を笑う奴が最後は笑われるんですから。
真面目な人を演じてさえいれば批判はされない、失敗しても優しくしてもらえる、というのは依存心に由来した錯覚です。
他人が向けてくれる、母親の優しさのようなものは、実際にはあなたを戦い(努力)の土俵から引きずり下ろしてやりたいってベータの同調圧力です。僕の経験上、それに甘えたら努力できなくなります。
男同士の慰めは基本は激励の形式になっていて「頑張ったからいいよ、偉い」ではなく、「今のお前はだめだ。だけどまだやれるはずだ。這い上がってこい」になると僕は感じます。少なくとも僕は下手に慰められて安い安心を得るくらいなら貶される方を選びます。
免罪符は高くつく
下手な自分とそれに対する批判を認められないのは弱さです。
「誰がなんと言おうともコレが正しいと思っている。笑いたいなら笑え」
これこそが強さに由来した、信頼に値する真の真面目さだと僕は感じます。
以上はあくまでも一つの例です。依存心の表出には他にも様々な形があります。
みんなが正しいと認めるものを再現しようとするのは、自分ではない誰かに自分の安全を保証して欲しいって幼児性の現れなんです。
その弱さに付け入られて「正しさ」「普通」って免罪符を高額で買わされてしまいます。
美容なんかは分かりやすくて。在りもしない劣等感を植え付けられて、今は体の毛までむしり取られてしまいます。
本当にかっこいいのはどんな男なのか、美しいのはどんな女なのかって価値観がないと、本当は興味のないものに時間と体力を使わされてしまいます。
二重とか鼻の高さ、肌の白さを美しいと感じるのは欧米が近代化で先行したからで、本質的な美だからではありません。アフリカやアジアが覇権を取っていたら違っていたはずです。
ビジネスを成功させよう!
就活を生活させよう!
ネットで探せば出てくる情報を横流しするだけの情報屋に金をむしり取られます。
もっと言うと、今の社会構造を維持している人たち(集合意識の比喩表現)の価値観に汚染されたら、体力、時間、精神力を奪い取られて自分の人生を生きる間もなく干物にされます。
人生を謳歌し社会を生き抜く為の知識ではなく、規格化された枠組みの中でエラーなく動く部品として、つまり感情を消去した歯車としての役割を、気が付かぬ間にインストールさせられています。
対価として人の野性の反抗心、覇気を支払わされています。
ビッグブラザー(同調圧力)は僕たちが「正しさ」にひざまずく瞬間を見張っています。
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