突然ですが、花沢健吾作品て面白いですよ。
読み返して、若い頃のピュアさを思い出すのと同時にこれを面白いと言えない男とは仲良くできないと感じます。
花沢健吾の作風と股関節おじさん
股関節おじさんの思想
少年時代に抱えていた崇高な理想と現実の大きな乖離。僕の心はピュア過ぎて若い頃は「この世の大人達は、この薄汚い世界が理想なのだと自分に嘘を付き、問題を解決しようとせず感情を殺しながら偽りの姿で生きている卑怯者なのだ」と本気で思っていました。大人達は薄汚れたこの世界を受け入れ生きながらえてしまった人の成れの果て。最終的には本当の自分すら分からなくなってしまったのだと。だから社会に順応した大人は大嫌いでした。
生きていくために一応の折り合いはつけたとはいえ、未だにその感情は根底に横たわっているんですよね。だから同じような経験に頭を悩ませ、葛藤した人でないと僕は価値観が共有できないと思っています。
僕がニーチェに共感するのも、僕が彼ほどでないにしても理想主義的で頑固だからだと思います。
閑話休題。「ルサンチマン」というタイトルの作品からも分かる通り、花沢健吾さんもニーチェに共感する理想主義的な強烈な思想があるのだと思います。
花沢作品
前置きが長くなりましたが。
花沢作品は困難から逃げ続けた理想主義的で、現実を受け入れられないコンプレックスにまみれた僕のような男が、目の前の困難を少しづつ克服し現実を受け入れることで、最後は少しだけ強くなり前を向いて歩いていく、という内容になっています。
少しだけ強くなる、というのがリアルでいいんですよ。大成功ではないのだけど、確実に方向性が変わった兆しが見えます。
「まあ、そんなもんだよな。それでといいよな。」と納得し、勇気がもらえます。
それは同時に「逃げたら劣等感にまみれ、生きることが苦痛になる」という暗示でもあります。
辛くても戦うことができたなら、一応の納得が得られ、人は前へ進むことができます。しかし、一度逃げ出した劣等感はそれを克服するまで付き纏い、足を引っ張り続けます。
コメント