形に執着せず、ありのままの自分を表現する

よもやま話
よもやま話

フォームありきでボクシングをしてはいけません。
戦うのは他の誰でもなくあなたです。伝統や理論にあなたを支配させないでください。主体は常にあなたであり、ボクシングはあなたありきです。

人は関節の強さも体幹の強さも手足の長さも異なります。
何より性格とスタイル(戦略)が異なります。
だから、人それぞれ適したパンチのフォームは違います。
フォームはあなたを表現した結果にすぎません。

僕は手打ちと二軸が合理的な打法だと結論したので、それを推奨しています。
でも、別に引っ張りで一軸で打ってもいいとは思います。好きな方で打てばいいです。

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人は人 我は我

僕は形に拘ことは運動においては正しい価値観ではないと感じています。
しかしボクシングに限らずスポーツは形に拘ります。どうしてそのような文化があるのかを考えてみます。

形に執着する文化の長濱説

以下は歴史的な流れが形を大切にする価値観に繋がっているとする長濱説ですので悪しからず。

日本のボクシングジムは会長(親方)を頂点にボクサー(力士)がいて、ジム(道場)って決まった場所で練習します。
それはボクシングが輸入された時に相撲部屋の制度を参考にしたからで、また相撲部屋の制度は剣術道場を元に作られたと僕は推察しています。

剣術:剣を使用する古武術であり、現代日本の武道である剣道の母体となった。

Wikipedia

古代の剣術は元々は戦場において効率的に殺人を行うための為に開発されました。
道場は戦争の為の兵隊を生産する工場だと言うこともできます。
元々は剣術道場でも殺し合いの為の制圧力が求められていたはずで、当然ながら形よりも殺す能力、正々堂々よりも卑怯が優先されたでしょう。

しかし、江戸時代になると徐々にその価値観は失われていきます。
徳川幕府による統治は安定し、小競り合いはあるにせよ大きな戦争のない260年にもわたる平和な時代が続いたからです。江戸時代の下級武士は内職が必要なほど貧しく、それは時代劇でも貧乏侍として頻繁に描かれてますよね。
平和な江戸時代に剣術道場の役割が失われていった結果、戦場で求められた価値観も徐々に失われていったのではないでしょうか。

平和になったからと言って武術、剣術の道場がすぐに消えてなくなるわけではないので、平和な時代に合わせた新たな価値観が必要になりました。
それが空手の形などに代表される舞踊的な価値観です。

以上のような経緯からスポーツや武道ではフォームやガードの位置など形に執着する文化を根付いているのでは?と僕は考えています。

形に執着するのは違うんじゃない?

つまり形に執着するのは戦いの価値観ではないのでは?と言いたいわけです。
戦いの価値観は騙し合いの心理戦、フォームどうこうより制圧力。

当然ながら人の大まかな形は同じなので強いスイングを生み出すフォームの共通点はあると思います。
それを分析することは有用でしょう。
ただ、最終的にどんなフォームがあなたの骨格、性格、経験、スタイルの力を最大化させるのかは分かりません。

強いパンチが必要なスタイルがあれば、手数が必要なスタイルもある。
一発で倒すスタイルもあれば、コンビネーションで倒すスタイルもある。

試行錯誤によって自分に合ったスイングを見つけることが大切なのであって、フォームを作ることが大切なのではありません。

フォームありきではなく、あなたありき。
殴り合いでもアウトボクシングでも。
あなたが快適だと感じる、伝統や理論に植え付けられた強迫観念を捨てたありのままの方法で。
相手をぶん殴ってください。それが正解です。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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