所謂「肩抜き」が弱者の認識であることを主張します。
肩抜きしてる奴いる?
俗にハードパンチャーと呼ばれるボクサーで「肩抜き」しているのいるか?
むしろ小さな予備動作から一気に拳が加速しているように見えるが。




ベテルビエフもコバレフもチューも肩抜きしているとは思えない。むしろいきなり腕が加速している。
SSC
「肩抜き」はSSCを強制的、つまり意識的に起こそうとすることと解釈できるかと思います。
SSCは筋腱のバネに似た性質を利用する体の仕組みです。
パンチには大きなエネルギーが必要です。それには筋力だけでなく、慣性や位置エネルギーを利用する必要があります。
すなわち、パンチの性質上においては必然的にそのエネルギーを集めるのに必要な反動動作(SSC)が要求されます。
肩抜きの動作は反動動作との類似性があります。
それが発生した背景を詳細に想像することはできませんが
肩抜き⇒反動動作を意図している
は論理的に妥当な推論でしょう。
別の意味があるならコメントで教えてください。
パンチ力を高めたい⇒反動動作を入れたい⇒肩抜きだ
という推論がどこか、あるいは広い範囲で起こったと考えます。
以上から、「肩抜き」は、反動動作を意図的に起こそうとすること、と仮定します。


以下は意図的に反動動作を起こそうとすることが負の自己強化を起している可能性を指摘します。
走行動作や歩行動作における腕振りは自動的に起こります。
そのように設計されているからです。
走行や歩行の腕振りは、バランスを保つための姿勢反射であり、かつ腕振りのエネルギーを推進力へ変換する為の仕組みです(≒自動システム)。
投擲動作では、体が仰け反り、かつスイング腕が右なら左腕は前へ伸ばされます。
それは自動的に起こります。
「意識的に行う」なんて嘘つきは僕のブログの読者にはいないと信じます。

グラブを持つ腕の動作は姿勢反射
投擲、走行、歩行においても当然、SSCは起こります。それは自動システムに包含されます。
自動システムは僕の造語で、心拍数や瞳孔、網膜、心拍数、汗腺の働きから果ては反動動作、思考までを制御するシステムを指します。
極論は「自由意志」もありません。
「意識」は幻覚です。意識に意思が顕在化する前に実際は判断は終わっています。つまり、生まれてから死ぬまで、ヒトは意識的な選択を行っていません。
「意識」は人生が遺伝的な性質(≒運命)に収束していくのを眺めているだけです。

閑話休題。
転倒防止の本能も自動システム。最適なバランスを瞬時に計算し、体を複雑に操作して転ばないことに血眼になります。
そこに意識的な動きは介入できません。
意識を介入させて自動システムを邪魔してしまうことが意味することは想像に容易いと思います。
自動システム⇒その時点の最適解
と言い換えられます。
この立場から肩抜きを眺めてみるとどうか。
肩抜き、つまり、意識的な反動動作は自動システムの自動制御を邪魔してその働きを弱めてしまう、と推論するのが妥当に思われます。


肩甲骨ロック
ベテルビエフ系のパンチャーは何故小さな反動動作で破壊的なパンチが打てるのか。
僕は彼らの骨格に由来していると考えています、
この場合は強い前鋸筋小胸筋による肩甲骨前傾外転です。
SSC⇒反動動作⇒筋腱の弾性の利用
と変形するなら、SSCは「胸や肩に張力を加えること」と変形できます。
肩甲骨ロックや股関節ロックは構造的に筋腱の弾性に張力を加えます。すなわち、腸腰筋や前鋸筋小胸筋が強いことは予備動作としてのSSCを省略させることを意味します。
この結論はGGGやロイ・ジョーンズ、ベテルビエフの骨格的特徴と打法の関係を整合的に説明します。

肩甲骨の前傾は三頭筋に張力を加える

前鋸筋は肩甲骨の外転と上方回旋を促す

小胸筋は肩甲骨の前傾を起こす

大胸筋は肩甲骨の外転、上腕の外旋と水平伸展で張力が最大化

肩甲骨外転前傾かつ上腕内旋

みぞおちが潰れる≒胸椎後弯≒肩甲骨外転前傾

肩甲骨外転前傾

四角い胸

肩甲骨外転前傾かつ上腕内旋

肩甲骨が外転し四角く膨らんだ胸

肩甲骨外転上腕内旋、四角く膨らんだ胸
挙げればキリがないのでここで終わります。
歴史的にも超一流と呼ばれるボクサーの骨格は既述の推論と整合します。
彼らは肩抜きしていますか?
僕の目にはそうは映りません。むしろその逆。予備動作なく強烈なパンチを打ちます。
肩抜きは、肩甲骨ロックを起こせない弱者の代償動作であると考えるのが自然で、むしろ、「膝を曲げる」「腰を回す」と同様の、無能の口から出る害悪である可能性を考慮すべきレベルだと僕は感じます。
ここまでの推論を踏まえて、あなたはどう感じますか?

弱者の認識は害悪
世の中はガラクタで溢れています。
エンタメを真実と錯覚し、陰謀論を現実へ持ち込もうとする無能が典型。
詐欺師は論理ではなく修辞を駆使して聴衆を惑わします。
複雑極まりない現象を短絡的な論理で理解した気になれる無能がガラクタを作り出しています。
根本的には「肩抜き(ドヤァ」があります。
現象の論理を追跡し、無能の論理に矛盾が包含されていないか、反例を見つけられないか、を検証しないと、ドヤァしたいだけ無能に振り回されます。最近は政治にその傾向があります。
詐欺師は、単純化しすぎた故に無意味だか、聴衆には聴き心地の良い音楽を奏でます。
そして真剣な聴衆ほど損をさせられます。
ここに詐欺師に騙されてるカモはいねえよなぁ。

コメント