
近道ばかりを追い求めると生きる意味を見失う
荒木哲学
現代は、家庭や学校で電池としての生き方を子供の頃から徹底的に教え込まれます。

モーフィアス「お前らは電池だ」
メディア(多数派)に「これがかっこよさ(正しさ)だ」と洗脳され、服やアクセサリー、ダイエットグッズ、髪型を買う。 少数派になることを恐れて好きなこと(≒生きること)を我慢し流行に乗る。 これを繰り返す内に人は他人に好かれるだけが能の便利な使...
「結果至上主義(キング・クリムゾン)」の亡霊に取り憑かれ、やる前から諦めることを子供の頃から繰り返すと、人の心は力を失い自己喪失を起こします。
子供は結果なんて一切気にしません。過程を楽しみます。結果的にそれが子供の成果物に生命力を与えます。
それができる大人がどれほどいるか。あなたが大人であればある程、結果を無視して一点に情熱を捧げることが難しく感じるはずです。あたまのどこかに「他人の評価」がチラくつく。
子供のように自分の考えが絶対に正しく、他が間違えていると言い切れますか?「俺(私)が絶対に正しい。科学者でも誰でもかかってこい。」と。
それと対比することで子供の生まれながらの性質がどれほど偉大なのかが感じられるはず。
仮に大人であっても、結果や他人からの評価を度外視し、過程だけに没頭した人の成果物には魂が宿ります。
キング・クリムゾンに取り憑かれた大人が、子供の偉大な性質を奪い、子供から生命力を奪って他人の人生の脇役を与えています。
脇役としての生き方を教えられると、大人になっても、無関係な他人の人生を覗いてあーだこーだーと騒いでしまうのが止められません。
自分の人生に必死な奴はそんな愚かな人生の使い方はしない。
思考停止してメディアや多数派に言われるがままにガラクタがを買い漁る。貴重な人生を費やして稼いだ金(命)の使い方に関心が向かない。
次第に「赤いドレスの女」を追いかけるだけの社会の電池に成り下がる。
あなたは近道しようとするあまり、誰かのYouTubeを肥やすだけの電池に成り下がっていせんか。

ネオは日常ではなく白ウサギを選んだ
考察

安心を遠ざけて技術の再現性を高める
再現性はどこで誰が相手であっても、いつも通りに振る舞える能力を言います。 練習は強いのに本番の試合で弱い、シャドーボクシングは様になっているけどスパーリングだとからっきしダメ、とか。 ウサイン・ボルトのように国の代表として、かつ全人類の期待...

モーフィアス「正しくやろうとするな」
「打とうとするな。打て!」 「パンチ」を打とうとすること、すなわち「パンチ」という先入観に囚われることは真のパンチを見失わせてしまう。 フック、アッパー、ストレート以外にもパンチの可能性はいくらでもある。既述の言葉に囚われてしまうことはボク...

不幸の正体 その2 自己喪失
何度も記事にしていますが。 不幸の正体は自己喪失 見知らぬ他人を批判し承認を得ようと藻掻く、幼児化した大人で溢れるSNS大衆社会には「幸福論」は必要な処方箋ではないかと思います。 自分の所有物にのみ集中する 他人の言動に注意を向けるのは人生...
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