寓話や神話は社会的真理
神話やことわざなどの伝承の類は、社会的な法則性を伝えてくれているのだと最近は感じます。
ウサギとカメ、アリとキリギリスは、神から忍耐力を与えられた人種が他を圧倒するポテンシャルを持つこと、そして、その人種には社会を牽引する役割が与えられていること、を端的に伝える分かりやすい寓話です。
この年になって強く感じるようになりました。自覚されるリスクと損失に耐えられる精神性(≒忍耐力)は、平等に与えられているものではありません。むしろ残酷なほど不平等です。
同じリスクと損失であっても、「なんとかなるっしょ」としか感じない人種と、この世の終わりかのように感じる人種は、キレイに分かれる気がします。
僕は、リスクと損失に怯える自分のケツを叩いて走らせています。いつもいつも芋を引きそうになる気持ちと戦っているので、僕は自らを臆病者だと思っていました。が、この考えは改める必要性を感じます。
自分の人生にオールインできる人種と躊躇して芋を引く人種がいます。後者は負けもしないが勝つこともない。
そして最近は、これは教えられるもの、あるいは鍛えられるものでもないのかもしれないとすら感じています。
やる奴は言われなくても勝手にリスクをとるし、やらない奴は残念ながら、何を言われてもリスクをとりません。
以上がウサギとカメの寓話に凝縮されているのを感じます。
また、災いを詰め込んだパントラの箱の中から最後に出てきたのは、希望だった、という神話も真理を表しているど思います。
災いはその渦中の人に取捨選択を要求し、抱えていたガラクタに気が付かせてくれます。パンドラの箱はこの過程を抽象していると言われたら、しっくりきます。
ガラクタを判断する審美眼こそが、最後に現れる希望です。
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「来る者拒まず、去る者追わず」
これは遺伝的な性質の分布を端的に説明してくれていると解釈できます。
類は友を呼ぶ。僕のブログやYouTubeが好きな人はきっと、僕と遺伝的な性質が似ている人です。例えば「何故」をどこまでも追いかけたい人か、あるいは浮世離れした空想が好きな人。でないと文体や抽象的な話し方にはイライラするだろうと思います。好きでなければ貴重な人生を費やしてこんなブログは読まない。
読者と僕は互いにWINWINな関係。
言い換えれば、ルーズルーズな関係もあります。
依存体質は依存体質と相性が良いだろうし、逆に自立体質は自立体質と相性が良いだろうと思います。
依存体質と自立体質が一緒になると、互いに負担です。
依存体質の人が「どうして助けてくれないの」と感じている時、自立体質の人は「自分でやれよ」と思っています。
あるいは依存体質の人が「やってあげた、褒めてほしい」と思っている時、自立体質の人は「勝手に何してくれてんねん」と怒っていると思います
また、性質が一致している場合は意思疎通が簡単になります。
依存体質1「…(やってほしい)」
依存体質2「…(やってほしそう)」
1は説明する手間が省けるし、2は察っしてもらうののが当たり前だと思っているので、1の態度に疑問も抵抗もありません。
自立体質1(お好きにどうぞ)
自立体質2(お好きにどうぞ)
1も2もそれぞれがどこで何をしているのかに興味を持っていません。互いが互いの利益になる場合だけ集合します。お互いにそれで良いと思っているので、一方的に何かを要求することがありません。
また、論理的な脳の構造を持つ集団と感情を共有したい集団とでは意思疎通ができないと思います。コミュニケーションの意図が異なりますから。お互いにストレスです。
共感型脳「こんな問題が起きた(ボクは悪くないと言って。)」
問題解決型脳「〇〇すれば解決するよ。それに原因はあなた。改善しないとまた起こるよ。」
共感型脳「…うん(ちがう、そうじゃない)」
問題解決型脳「…頑張って(何で不満そうなんだ)」
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「去る者追わず、来る者拒まず」は、この真理を伝えているのだと思います。ルーズルーズな関係に時間と体力を無駄にするな、と。
「話し合えば分かる」と言うようなものではなく、言ってしまえば運命です。
恋人や友達、会社の人間関係がルーズルーズだと感じるなら、それは神が与えた性質故に、ずっとそうなのです。きっと変わることはないだろうし、話し合いでは解決できません。生きる世界が違うと思うしかありません。
働きアリの法則≒パレート分布≒遺伝的分布
働きアリは働くように作られているからそうするのだし、働かないアリも同様。自然(≒神)が与えた役割に沿って生きているのたから、無理に一緒にいるのは損なのです。
「去る者追わず、来るもの拒まず」はこんな達観した文脈から発せられた言葉なんだろうなと。
二つの人種
既述のように、僕は見た目では判断できない人種が存在していると感じています。
黒人と白人、黄色人は交配が可能なので、同じと言えば同じですが、スポーツの成果など、違うと言えば違います。
依存体質と自立体質も同様に、同じと言えば同じですが、違うと言えば違います。僕は言動の明確な差を感じます。
前者は、問題が起こった場合「誰かなんとかして!」が言動と態度から滲み出ます。後者は逆に「任せろ。俺がなんとかしてやる」が滲み出ます。
また、他人の干渉を優しさと解釈する前者と、それを邪魔が入った解釈する後者。
依存心と被支配
依存体質「俺(私)は悪くない。悪いのは〇〇。」
この態度は人生と社会を破壊します。
ポピュリスト(詐欺師霊媒師)「あなたは悪くない。悪いのはユダヤ人(日本人or移民or政府or財務省or悪霊)」
歴史的に、この手の短絡的な主張に熱狂し、自らの非を認められなくなった大衆は破滅へと突き進みます。
幼児性≒依存心、はヒトの遺伝子に実装されています。それを自覚できなければ社会のお荷物となります。
仏教哲学なら、与える大人(旦那)と奪う子供(餓鬼)
ブッダの言う解脱と繋縛
ニーチェの言う超人と末人
オルテガの言う貴族と大衆
孔子の言う君子と小人
要するに、古今東西の人生哲学は、依存心か、あるいはそれを持つ集団と決別しろ、と伝えていると解釈できます。
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