宮本武蔵の言葉。
我、神仏を尊びて、神仏を頼らず
カッコイイですね。矛盾するようでいて真理を表している含蓄のある言葉だと感じます。
「神仏」は「科学」「お金」「国」「社会」「親」「家族」「友達」などなど、あらゆる言葉に言い換えられます。
科学や常識などは他人の言葉です。親はあなたを残して先に死にます。親はあなたの結末を見られませんから、その言葉の責任はとってくれません。友達や恋人は親よりも簡単にあなたを裏切ります。みんな、遺伝子レベルであなたに利用価値があるから付き合っているだけです。価値が無くなればすぐに捨てられます。これが現実です。
後述するように、他人の言葉は敬意を払う価値のあるものです。が、全面的に頼ってよいものではありません。窮地に陥ったあなたへ助けの手を差し伸べてくれるのはあなただけです。むしろ、辛い時ほど追い詰めてくるのが他人。
あなたが「みんなの為に」と思って立ち上がった時ほど、他人は無関係な傍観者のフリをしています。
残酷ながらこれが現実です。
僕の経験から、あるいは遺伝子の保存という観点から、これは妥当な結論であると僕は考えています。
自分の政治的失敗のツケを国民に支払わせるのが政治家。イスラエルガザ、ロシアウクライナ。
そのツケの代償が国民の命であることは恐ろしい事実です。
順調な時だけは、なぜか全てを自らの手柄にしてしまいます。日本もアメリカも同じです。「あなたは悪くない。悪いのは○○だ」という、聞き心地の良い言葉で大衆を惑わせてコントロールします。
結局の所、他人の言葉はどこまでいっても「お前が勝手に信用したんだろ」で、突然梯子を外される可能性が排除できません。だから全面的に信頼することはできません。
しかし、だからと言って他人の言葉を軽んじれば機会損失を被る可能性がありますから、それは敬意を持って聞く必要があります。
国が「投資しなさい」というのは不気味ですが、だからと言ってその為に整備してくれた制度を利用しないのは損です。冒頭の言葉のように、全面的に信頼するのではなく、いつ梯子を外されてもいいような心構えと準備だけはしておく必要があります。
僕の言葉もそうです。
間違えているかもしれないし、エスパーでもない限りは、僕が自分の利益の為に嘘をついている可能性を排除できません。トレーナーや会長、先輩後輩の言葉も。
宮本武蔵の言葉は効率的に生きる為の方法論、人生観です。一言に以上の論理がギュっと圧縮されています。
「我思う、故に我在り」
と同じ。
膨大な思考や試行錯誤を一言に圧縮した真理はブラックホールのように人の心を引きつけます。
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