「パンチは投擲である」が分かりやすいと思います。一番下に載せた記事でも説明しましたが、骨格の構造から推理するに、人体は長軸を持つ槍のような物を投げることに特化させられています。
ボールを投げたり、タオルを投げてしならせる練習などはパンチで自然に腕をしならせる練習として効果的ではないかと思われます。手首のスナップを効かせて。肘で呼ばさず上腕の内旋に主導させて。
レナードのパンチは腕が畳まれて肩甲骨平面内を加速しています。これは小胸筋が強く作用し、腕が肩のラインを越えて持ち上がるのを抑制しているからだと考えます。
小胸筋が弱い場合は腕が肩甲骨平面を抜けるので、肘の腱や肩の筋肉の怪我繋がると考えます。
僕の娘は投擲動作を二歳の時には既に行っていたと記憶しています。皆さんも投擲はいつの間にか覚えていたはずです。
従って、パンチは本能的な動きであり、細かく動作を教えなくても見様見真似できるだろうと、鏡の前で動きを作る必要はないだろうと考えます。それはむしろ非合理な技を引き寄せる確率を高める非効率な練習だと考えます。
試行錯誤し、たまたま上手くできた時の”感覚”を再現するのが効率的な練習だと考えます。
そもそも論を言えば、相手がいて、状況に応じて迅速な対応が求められるボクシングにおいて、鏡の前で覚えた技術が役に立つとは思えません。
ボクサーに要求されているのは、流れの中でパンチ(ディフェンス)を選択し、即座に制圧する能力です。
鏡の前での練習が要求されるのは、バレエなどの舞踊です。
日本の武術にこの手の価値観が持ち込まれたのは、恐らくは平和だった江戸時代に文化を存続させるという要求からでしょう。
平和が長すぎて価値観が元々の意味から乖離したと考えられます。
他人への寛容さを肯定したはずの宗教が不寛容さを歓迎し、生活を豊かにする道具である貨幣が、むしろ心を貧しくするようなこと。それと同じようなことが起こったと考えます。
閑話休題。
下に載せたロイ・ジョーンズのようなスリッピングも、レナードの投擲と同様に本能的な動きだろうと考えます。
ただし、大腰筋が太くないとロイ・ジョーンズのような動きにはならないだろうし、小胸筋が太くないとレナードのようにもならないでしょうが。
後はレナードが側頭部を殴っているのも分かりやすいと思います。
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