自己成就と自己強化
「自己成就予言」は、「あの銀行は倒産間近だ」という、根も葉もない噂話が現実での取り付け騒ぎを誘発し、本当に倒産を導いてしまうような、人の思い込みが先行し自己成就的に物事を引き起こす現象を指しています。
「マトリックス」は人の空想(=固定観念や強迫観念)が創り出す仮想現実です。
日本人が共有する父親観や家族観、そもそもの日本人観。ボクシングで共有されているボクシング観、上手いボクサー観。経済観、貨幣観、挙げればキリがありませんが、集団に共有されている社会的な観念は自己成就的に成立し自己強化的に増幅された虚構である為、集団の全員がそれを信じているということ以外に価値はありません。
自縄自縛マトリックス
「Aという方法が正しい」という真偽不明の観念が集団の全員に共有されたと仮定します。
この場合、例えそれが非合理な方法であったとしても、全員がそれをするのなら、それが上手い人は成果を上げ続けられます。
非合理なAはその集団内でのみ、あたかも合理であるかのように振る舞います。
これが声がでかいだけのバカの主張が達成される論理です。
手打ちが正しいという合意がボクシングを埋め尽くしたなら、手打ちが上手く行える骨格の人以外はパンチを上手く打てません。仮に手打ちが非合理であったとしても、それは合理として振る舞い続けられます。
学校教育もそうです。ある枠組みの中で上手に振舞える人が優秀だと定義されていますが、現実はそうは見えません。問題児も革新的な発想で社会に貢献しています。非合理が合理として振舞っている側面があります。
聖書が非合理であっても、それに全員が従いその中でのみ競争が行われるのなら、それは合理であり続けます。種の起源がその枠組みを壊すまでのヨーロッパはそうでした。
会社のやり方や社会の文化、ボクシング業界の虚構なんかもその典型で、壊されるまでは一見して合理に振舞います。
全員がそれを信じ、それがその集団の合意であり続ける限り、非合理は合理として振る舞うことを許されます。
僕達が中世ヨーロッパキリスト教や江戸時代の奇妙な文化に驚くのと同じ感情を、未来のボクシングや日本人は抱くのかもしれません。もしかしたら、ボクシングや日本人なんて概念すらないかもしれない。それ程馬鹿馬鹿しい観念に全員が囚われているのかもしれない。
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