ふと、「矛盾からはどんな命題を導いても良い」と言える推論はどんなだろなと。
(数学的な意味での)矛盾の興味深い性質として、矛盾を含む体系においてはどんな命題を導くこともできる、というものがある
そのような規則があると勝手に思い込んでいました。が、推論規則から演繹できるんじゃないかと。
証明してみます。
そもそも論として、「Aであり、かつAではない」という「矛盾」が許されない理由はなんだろうか、を考えました。
結論は「ヒトの認識ではそれ以上の展開がでかないから」。
存在(真)非存在(偽)を土台として現実を認識するヒトは、その原理上、矛盾から先の現象を追跡することができません。つまり、考えられないことを考えるのは無駄だから、考えられることだけを考えることに決めたわけです。矛盾まで到達したら考えなくても良いよと。その先に挑戦した人はいたのかもしれませんが、無駄だったと。
卑怯な気はしますが、感情的にならずにやらないことを端から「やらない」と決めてしまうことは、ヒトの寿命を考慮するなら大切なルールです。
以下は演繹過程。
A∧¬A(前提)
⊥(排中律)
⊥∨B(∨導入)
B(べき等律)
Bを「好きな命題」と解釈すれば、矛盾からはどんな命題でも推論できてしまいます。演繹システムの原理上にどうしてもそれが生じてしまいます。演繹システムという空想の話であり、現実の話ではありません。
矛盾の認識
論理的に矛盾する関係(論理)ってどんなのがあるたまろうとふと思って考えて見ました。 矛盾は命題の如何に関わらず恒に偽となる式。例えば A∧¬A=⊥ 上の論理式は命題の真理値にかかわらず恒に偽となる論理式。つまり恒偽式=矛盾=⊥です。 この推...
関係によって存在が定義される
底なし沼ですね。納得することはできるのだろうか。「存在」について僕の考えを書き出していきます。 上の記事で解説しているように「存在」と「関係」は別の性質を持つ概念ではないのか?って発想へ行き着きました。となると「存在」って、つまり概念を創る...
論理和と論理積の冪等律
同値関係についてもう少し掘り下げてやろうと思います。 冪等律 冪等律 【冪等律】数学において、冪等性(べきとうせい、英: idempotence、「巾等性」とも書くが読み方は同じ)は、大雑把に言って、ある操作を1回行っても複数回行っても結果...
コメント