下の動画の親子のコミュニケーションは見習いたいと感じました。
日本でこの手のコミュニケーションを見る機会はほとんどありません。
父親は息子の真の能力を引き出そうとしています。怒らせるような発言はその為の手段。息子も口では反応しながらなもそれを心では感じているはずです。
父親の役割
思うに、父親の目的は息子に好かれることではなく強くすること。時にあえて厳しい世界に放り出して子供の精神的な自立を促す厳しい態度が父親には要求されるはずです。
僕は子供の頃は父親の言うことは理解できない故に大嫌いでした。が、この年になると感謝しています。「自分のことは自分でやる」男の基本を教えていたのだと思います。
父親の立場になると、仮に娘には嫌われたとしても精神的な自立を優先する必要があると感じます。
子「虐められた…」
父親「やり返せ馬鹿野郎。」
担任の先生や学校へのチクり方の前に「俺がなんとかしてやる」という危機に立ち向かう態度を父親は教えなければなりません。
ボクシングジムでも同じ。文句があるなら自分でやれが基本。
「〇〇が〜して」なんて陰口やチクリは自分では何もできない幼児か、腐り果てた女がやる行為です。
社会がこの手の体の大きな幼児で溢れると
大人「仕事ない」
大人「賃金上がらない」
大人達「国がなんとかして」
こうなります。転職や起業などの自分の行動には一切の意識が向きません。「誰かになんとかしてほしい」という子供染みた願望だけを垂れ流し、社会を支える人達の足を引っ張ります。
幼児化した社会の末路
自分が今やらなければならないことの判断のつかない大人ばかりになると社会保障費は増大し国の財政は悪化します。生産性の劣化と国の債務の増加が通貨安(インフレ)を、次に優秀な人の国外流出を導きます。いつしか先人が築いた遺産を食いつぶし、国を運営する費用を支払う人もいなくなり崩壊。今の中国や財政の悪化に伴う通貨安を背負うトルコやアルゼンチンなどで起こった、または起こっていること、そして今後日本で起こることだと予想しています。
子供にこの態度が許されているのは、彼らの代わりに社会を維持する費用を支払い、時に危険に立ち向かう役割を果たす大人がいるからです。
大人がそうしなれば、一体全体誰が社会を維持し発展させる費用を支払うのか。
話が大きくなりましたが、上に載せたようなコミュニケーションを理解できる大人や男が少なくなっているのはないかと感じています。
仲良し小好しの馴れ合いが蔓延っている。
日本の停滞は財政や制度に焦点が当てられます。きっかけは確かにそうだったかもしれない。それを主張する人達も正しいかもしれない。
しかし、それに寄生し自分の問題と責任を無視する個々人の意識改革も必要だと感じています。
「頑張った偉い!」なんて言い合っていいのは小さな子供と母親の間でだけです。
男同士でなら吐き気を催す程度には軽蔑しなければならないと僕は感じます。
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