もし、神に「お前は明日死ぬ」と告げられたなら、あなたは残りの時間で何をしますか。
その仮定を10日後に延長したなら、その選択は変わりますか。
それが1年後なら?10年後なら?30年後なら?
根本的には何も変わらないだろうと思います。あなたは一秒一秒、一日一日を、あなたが価値があると認めたものの為だけに費やすはずです。
目の前に現れた神に「30年後にお前は死ぬ」と告げられたとしましょう。
その瞬間から、あなたの一日一日は浪費なんてできない貴重な資源へと変化し、悔いなく生きることだけを考えるようになるはずです。
では、今仮定した30年後の未来をあなたが生きている確率がどの程度なのかを考えてみてください。
30年後に、この記事を読んだ何人が生きているでしょうか。
自分が死んでいる可能性を否定することは誰にもできないだろうと思います。
だとしたなら、今日やったことを明日もやりますか。
30年後もそれをやっていたいですか。
自分はいつか死ぬのだ、今日の延長線上には常に死があるのだ、と認識できなければ人は愚かになります。それは、他人の生活を覗き見し、それを批評するような、くだらない生き方に満足をするようなこと。
でも、死を意識できればそんな愚かなことはしなくなります。自らの人生を最大限に、自らの為だけに使うはずです。
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