ガラクタに目が眩んでる間に人生は終わる その二

よもやま話メンタル

ボクシングは他の仕事と比較すると死が身近にあります。だからこそ、死に方(生き方)について考えを巡らす動機が生まれます。

生きる意味について考えるからこそ、自らの意思による判断と行動の大切さを、そして人生の短さや儚さを感じることができます。

僕は、僕がくだらないと感じることに人生を浪費することは拒否します。

他人か押し付けてくるかっこよさ、他人が押し付けてくる豊かさ、他人が押し付けてくる幸せ。一切を拒否します。

人はみな、自らの物語の中でその主役として生きる為に生まれてきたはずです。しかし、現実はどうでしょうか。気が付かない内に他人の物語の脇役を演じさせられています。
当然、幸せには色んな形があるので、それ自体は問題ではありません。僕が問題だと感じるのは、無自覚に他人の物語の脇役になってしまうこと。
ボクシングジムなら、基礎基本という他人が書いた物語に服従し、その脇役に成り下がること。日本という社会でなら、「安定」という免罪符に跪き、意思と未来という、個人の最大の財産を放棄すること。

安全な世界では死(生)について考えるきっかけほとんどありません。故に、誰かの意思に無条件に従い、個人の最大の財産を搾取されていることに気がつけません。

くだらないことを、くだらないのだと判断して拒否できることは短い人生を有意義に使う為の大切な感性です。

僕は危険なスポーツをしている自覚があるからこそ、僕にとって価値のないものは無視し続けられます。
毎月の面会日に娘と遊んで、沖縄から大阪へ戻る時はいつも「彼女と会えるのはこれが最後かもしれない」と感じ、とても寂しい気持ちになります。

それが嫌なら止めればいいからこそ、僕はボクシングをやる理由を、今の生き方を擁護する理由を探しつづけなければなりません。

死ぬのは嫌です。しかし、死について考えることには大きな価値を感じています。
現代日本は平和になりすぎた故に生きる意味について考える機会がありません。ボクサーですら、ただ何となく、生きる為に生きているように見えてしまいます。

自分の一度きりの人生を使い証明したい価値とは何なのか、自分がこの世に存在する意義とは何なのか、そう自問自答し続けなければ、他人の物語の脇役となることを拒否できません。
大量消費社会の現代は、人を低い方へ低い方へと押し流す、強固な構造があります。それに逆らえない場合、人は単なる一消費単位へと成り下がるのです。
物欲や性欲を刺激され、動物へと退化していきます。

老いてから
「つまらない生き方をした」
と後悔しても時間は戻ってきません。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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