言葉にしていいのは決意だけ。
これは僕の生き方であり、願望を実現させるための長濱説です。
下の記事でもお話しましたが、願望は依存心の別の側面で、行動を約束する決意とは根本的に現実への作用が異なります。そして世の中に溢れているのは願望です。
ボクシングに溢れている願望≒依存心は「世界チャンピオンになる(してほしい)」というもの。
願望を口にするとスッキリします。嫌いな上司や先生をギャフンと言わせてやる、と強気な人は多いですが、結局は陰口で終わります。
うんこと同じで出せばスッキリしてしまうから。
僕の統計上、本当にギャフンと言わせてやろうと思っている人は、そんな願望は口に出しません。
誰かに話をしてストレスを解消するなんてことには興味がなく、どうやってギャフンと言わせてやるか?ってことだけをずっと考えているから。
ペラペラと薄い願望を言うのはただのストレスの解消です。そんなことをしていると悔しさも怒りも忘れてしまい、本当に未来を変えてくれる行動には繋がらないんです。挙げ句は「情けないやつ」「口だけ」って、最低のラベルを貼られて損をさせられます。
だから「今に見てろ」と心の中で感じたなら、それは誰にも言わずに心の中に閉じ込めるんです。
ムカムカイライラしてそのストレスを発散するための行動が勝手に開始されます。それまでなら絶対にやらないような行動を怒りに任せて実行できたりもします。
行動と決意は同時に起こりますから、そこまでくれば誰かに言っても問題ありません。今度は目に見える行動を開始したことに起因した燃料が用意されます。人の心は投下した費用を取り戻せる行動への動機を働かせます。せっかくやったのだから、途中で止めるのは惜しいと。
虐めろって意味はありませんよ。虐めは自分の人生を他人の為に使う行為で、人生の浪費です。
怒りの感情に任せて自分の能力を高め、群れでの序列を高めることができれば、それが最大の復讐になります。
あなたの忘れ去られてしまった、ムカついた過去の経験を思い出してください。その時の感情ならケチって買えなかった本やらトレーニングを買い、何か行動を起こせるが気がしませんか。
誰かにペラペラ話すから復讐の動機が薄れるんです。
「この野郎、泣かせてやるわ。今に見てろ。」
で心を一杯にして誰にも話さないでいると、体は勝手に動きます。
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