賢い人の関わり方は一見淡白に見えるが、実際にはベタベタとした依存心から開放された自立した付き合いだから、壊れることなく長く続いていくんだよ。
と言っています。
これは僕の信念に近いと言うか、人付き合いや技術の一つの指針となっています。
依存先を増やす=対応力を高める
依存先を増やす
例えば会社に完全に依存してしまうと、上司の言うことに逆らえない、というようなことが起こります。恋人関係でもどちらかが一方的に、または互いに依存した関係は長くは続きません。
一見すると長続きしてるように見えても、危機に対して脆弱で何かの拍子に簡単に壊れます。
ボクシングも一つの技術やスタイル、ジム、トレーナー等に依存すると、それが噛み合っている時は良くても、何かをきっかけに噛み合わなくなると脆くも崩れ去ってしまいます。
インターネットや血管、ニューロンの結合、木の根、宇宙の構造が全て同じ形になっているのは、多くの土台を持つことでリスクを分散する為です。
一箇所に寄りかかってしまうと、その足場が崩れた時に、システム全体が壊れてしまいます。上記の構造以外は仮に生まれたとしても長い期間存続できずに、失われてしまいます。
勝ち続けるボクサーの技術体系も、目には見えませんが上記のような複数の足場に支えられた構造になっているはずでず。
最強の構造を構築する為、長濱拳法は自らを「こうだ」とは定義しません。それは足場を限定する発想だから。
あらゆる状況への対応力を高めることを重要視し、自分自身を自然発生的な定義に委ねます。
仏教哲学の「縁起」に近いと思います。余談ですが、ボクシングを深めていくと奇妙なことに仏教の思想に近似していきます。また、その思想が生み出した種々の概念の目に見えない文脈が自然と読めることがあります。仏教が様々な分野と親和性が高いのは、人の認識のフラクタル構造の話をしてるからじゃないかと感じます。
「君子交わりは淡き水の如し」は仏教哲学から演繹できます。
練習で対応力を鍛える
閑話休題。得意なことだけに拘らず、様々な状況、スタイルを想定した練習を心がけます。
サンドバック打ちは僕は毎ラウンドスタイルと距離を変えます。サウスポーを練習するのもを自分自身の可能性に蓋をしない為です。サウスポーで戦う戦う為の練習ではなく、あくまでも発想の制約を外すためのスイッチスタンスのトレーニングです。
マイク・タイソン、ゴロフキン、デービス。歩きながらスタンスを変えることで、普段のスタンスなら得られない機会を創り出します。僕はこれを起こす彼らの発想の源が欲しい。
実戦練習では打ち合ってみたり、アウトボクシングしてみたり。
アウトボクシングしか出来ないボクサーもインファイトしかできないファイターも手持ちのカードが少ないという点で脆弱です。
時にはディフェンスだけ、左だけ、右だけなど、様々な方法を試し、ある一つの形にのみ依存することを避けるようにしています。
「君子交わりは淡き水の如し」
同じ形を延々と反復していた頃より遥かに高い効果を実感しています。
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