ネットにいるおかしな人に心を乱されないような論理を構築していきます。
下のツイッターの彼(彼女)が僕を「笑える」と攻撃してきたので、僕はその内容をアレンジして抽象的には同じ論理による反撃を彼に行いましました。
※Xはリンク切れ
そしたら「あなたはネットに自らを公開している以上、常に批判は受けて然るべきだ。なのにやり返すなんて信じられない」などと自分だけはネットに存在していないかのような論理を展開してきたので、下のツイッターのようにさらにやり返しました。

彼は自らの主張が二言目には矛盾してしまったことにすら気が付かないレベルの論理性しか持ち合わせていません。その程度で他人を批判しようなどとは、ホントに、無知なのか度胸なのか、それは認めてあげたい。
ところで、批判のために彼を選んだのは偶然です。くだらない誹謗中傷は頻繁にありますので。あえて彼を攻撃するつもりはありません。あくまでも啓蒙、警告的な意味でやっています。
大衆化社会の末期
ネットに溢れる体の大きな子供
小中学生はネット戦士だった僕の経験から言えば、彼らは、ネットに居る人には彼らと同様に心があることを想像できない程度の知性(≒小学生レベルの認知能力)しか持ち合わせていません。
故に匿名による卑怯極まりない上記のような攻撃が行えます。
きっと僕以外の人にも同じような論理的に破綻した感情論で攻撃を加えて傷つけているのでしょう。
僕は彼ら悪臭の正体を突き止めようと心理学や社会学、また歴史の本にあたりました。そして少しづつ悪臭が立ち込める場所が分かってきました。彼らは文明の末期に必ず登場する、文明を破滅に追いやる危険な人種です。
彼らはヒトが構築する社会構造(ヒトの群れ)が持つ普遍的な性質から必然的に生み出されます。
原始時代の小さな群れでなら有益に機能したであろう個体の性質が、大きな人類文明というシステムに組み込まれた途端に致命的なエラーを起こしているのだと予想しています。
古い規格のハードウェアを最適化するために組み込まれていたちょっとしたプログラムの工夫が、新たなハードウェアへの移行に伴い致命的なバグを起こすあれです。分かる人には分かると思います。
子供の頃にアセンブリで遊んいて知りました。
奇妙なコードを発見し、それを調べると、ある時代のハードウェアの挙動を最適化する御呪いである、ということ。
ある規格のハードウェアにのみ存在している抜け道を利用することで、計算資源を節約できることがあります。
システム全体としては、技術の更新に対してバグの可能性を孕んでしまうが、その時点の計算資源の活用においては効率的である、ということ。
小さな群れでは合理的なヒトのシステムですが、それをそのまま巨大な群れに当てはめるとバグが起こってしまう。
しかし、この意図しないバグのおかげで、サピエンスは他のヒトを絶滅させられました。
原始時代の環境に遺伝子は最適化させています。
ヒトの遺伝子には計画性はないので、ある環境に最適化されます。つまり、人類史的な文脈ではつぎはぎ(≒バグ)だらけ。雨漏れしまくり。
※長濱説
歴史的には非合理なバブルや戦争への熱狂がそれにあたると思います。
※個人単位では非合理
虚構(おとぎ話※)に市民がその本分を忘れて熱狂し、その結果として社会全体の生産性が劣化。暴走し最終局面では暴力による崩壊へと向かいます。
※財務省悪玉論、ディープステート論
今は最終局面の一つ前。
傾向として現れるのは「パンとサーカス」からのインフレ。
堕落し凶暴化した市民を恐れた政府が責任回避を試みて大量の貨幣供給を行います。また政治が民主主義的に自国民の利益のみを優先する方向へ舵をきります。
物価の下押し圧力のあるグローバリズムの終焉と蛇口の壊れた政府と中央銀行がジャブジャブと貨幣を供給。それが物価上昇圧力(≒貨幣価値下落)を発生させる。
へリコプターマネー(≒金融緩和)と教養の要らない、安く簡単に消費できるエンタメ(≒暴力とエロ)に市民が溺れ、社会の生産性が劣化。
※昨今の格闘技ブームと金融緩和バブル「美容信仰」が「パンとサーカス」と同型
「もっと金を寄越せ」と喚く市民が社会秩序破壊し始めた時代を、古代ローマのユウェナリスは「パンとサーカス」と揶揄しました。
文明の基礎を築いてきた先人たちが好んだのは膨大な時間と労力を捧げて築き上げる哲学や芸術といった創作でした。そして消費者もそれを時間をかけて解釈し生活へ取り込むことでその水準を高めていくことができました。
今はどうでしょうか。手間暇をかけた本当に良いものは見向きもされず、すぐ作ってすぐ消費するのが正義とされているような気がしてなりません。誤りでも面白いか分かりやすければOK!
時間をかけて丁寧に創り上げた、真の哲学や美学を理解し楽しむ知性が社会から急速に失われているのだと思います。派手に壊れるのを楽しむ。
まるで僕の娘が積み木を壊して遊ぶ様に。
パンとサーカス
言ってしまえば現代社会は二世議員や二世社長。
先代の遺産を食い潰して生きている状態です。
甘やかされた子供のように豊かさだけを要求し、その土台となる文化や文明、知識への敬意と奉仕を怠る人種が蔓延った結果。
崩壊が始まり、その対応策として暴力が選択されます。
彼らは文明が自然物で、何の努力もなしに存在しているのだと錯覚しているのだと思います。
歴史の連続性を理解しないから自由や平等、平和がどれほどの屍の上に成り立っているのか、そして社会という相互扶助がそこに住む個人に対してどれほどの奉仕を要求するシステムなのかを想像できません。
川から水が流れるのが当たり前であるように、文明(≒社会)が自然物として、ただそこに常に在るものとして受け取るのみです。
現実は一人一人の社会への奉仕にによって成り立つダムです。努力を怠ると水は失われます。
今の社会に住んでいると「そんなの当たり前じゃないの?そんな人はいっぱい居るけど」と感じるのかもしれません。
しかしそう感じることが文明の末期なのだと僕は予想します。「ヤバイ奴らが生まれてきた」と古くはローマ時代のユウェナリス、近代はニーチェやオルテガなど多くの賢人が社会の変化にいち早く気がつき、それを言及しています。
人の質が変わり社会を危険な方向へ導いていると。自国の改革にのみ熱心だったローマ人はいなくなり、他国を侵略。欧州が責任転嫁レースを開催し、世界大戦へ突入していると。
甘やかされ、葛藤なく育ちアイデンティティを獲得できなかった大人、つまり善悪の基準が社会の監視の目から与えられるような、匿名によるネット上の誹謗中傷を肯定するような空っぽの野蛮人は、思想の入れ物として機能します。
そんな野蛮人が増えた社会に大衆迎合的な国粋主義や排外主義を掲げる指導者が登場し、彼らに過激なアイデンティティを提供したとしたら。想像に容易いですよね。
過激な政治的スローガンが掲げられたら最終局面です。
ユダヤ人資本家が諸悪の根源と主張するナチスのホロコーストはその典型です。魔女狩りやフランス革命や明治維新も同じ。一部に未来を見据えた英雄がいた一方で、殺しをアイデンティティとする危険な人種が溢れたのも事実です。
結論。
群れがこれ以上は大きくなれないない人類の実装上のバグがあるんじゃね?
そのバグがSNSとスマホで可視化されてるよね?です。
彼らの罵詈雑言の湧く泉はヒトの遺伝子に組み込まれたバクです。
こう解釈できると「風が吹くと埃が舞う」を理解するのと同じように、ただの自然現象として「ああ末期だなあ。準備しなきゃ。」と感じらられるようになります。
風で埃が舞うのは当たり前で、それには腹は立てませんよね。無心で掃除するか、突風に備えて準備するだけ。
彼らは資本主義社会と情報化社会、科学の進歩が生み出した善意への敬意、信仰が欠如した存在です。
ニーチェが言うように「神は死んだ」のです。
大衆化社会と民主主義は共和制ローマに代表されるように、歴史的に見て最悪の相性です。
まあとにかく、人類のバグを取り除かないことにはそれがグレートフィルターとして機能するんじゃね?という予想。
この自滅の論理的な構造が、ブッダの言う「カルマ」。
文明を発展させるのも滅ぼすのも同じ性質。
社会批判で憎悪を垂れ流すのはこの辺にしておきます。
ところで、未来予測として最も説得力があるのは人口動態です。すなわち、それに伴う労働力構成の変化と社会保障費(徴税制度)の限界は予測できる確率が高い。
また、その限界と我が国の財政の事実を合わせると。また、財政拡張派が跋扈する現状を敷衍すると。
未来の完璧な予測は不可能ですが、事実と統計的に確率の高いことだけを前提に据えても、日本は悲観的な未来を論理的に構成できてしまいます。
コメント