不安や恐怖を取り除き心理的な重圧を軽くしようと試みる過程で、僕の心に自然発生的に神が生じてきました。それと同時にどうして人には信仰が必要なのかを理解できるようにもなりました。
神の存在意義を科学により一元的に否定してしまうことは損失をもたらします。
古今東西の神は人を自縄自縛から開放する為に開発された画期的な道具です。現代人にこそ必要なものだと感じます。
神の存在意義
フロー信仰
僕は重圧を取り除く為に「執着を捨てる」という方法を発見しました。未来や過去への執着を捨て、目の前で起こることにのみ対応する、という決意が緊張や不安から僕を開放してくれます。
「執着(固定観念)を捨てる」は「フローによる自動制御を信頼し、それに全てを任せてしまうこと」だと換言できます。
心の中にフローという名の神を創る発想は僕の世界観における一つのパラダイムシフトで、この新たな世界観が挑戦や行動に対して僕を積極的にしてくれています。
自然発生的に僕の世界に神が創造されたのと同時に、それが古くは仏教でも培われてきた手法でもあることに僕は気が付きました。
自信
フローを信じるためには自分の運命を受け入れなければなりません。その延長線上には「人生はなるようにしかならない」という運命論的思想があります。必然的に僕はそこへたどり着きました。
フローを信じる、つまり過去と未来を僕の心から切り離すことが、運命を信じるという発想を引き寄せました。自らの力が及ばない存在に身を委ねる、または運命を信じて今に没頭する、という発想はフロー(自信)から自然に演繹されるのでしょう。古今東西で「ありのままの今」を肯定する言葉が語り継がれています。
「神」という概念は命がけの勝負が日常に組み込まれた、死と常に直面していた時代の人類の心を開放する、という文脈から生じてきたのだと思います。
死と直面することがほとんどなくなった現代社会においても、自己開放、自己実現という点において、神を持たない心は脆弱だと感じます。
聖書でも仏教でも信仰できる何かが人には必要です。
フローやインナーゲーム、悟り、超人のように心の中に自分自身を祀るのが現代流じゃないかと考えています。
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