推論規則に従い三段論法を演繹

暇つぶしに見て

除去、導入の推論規則に従い三段論法が論理的に正しい演繹であることを確認していきます。

三段論法は
大前提「pならばqである」
小前提「qならばrである」
結論「pならばrである」
といった風に二つの前提となる命題から結論を演繹する妥当な推論です。

三段論法の演繹

下の演繹図は前提となる「p→q」「q→r」から「p→r」を導く過程を記述しています。全て予め決められた「含意除去」「含意導入」の手順に従っています。

$\Huge{\frac{\frac{\frac {\cancel{p} \ p\to q}{q\ q\to r}}{r}}{p\to r}}$

一段目は前提となる命題「pである」と「pならばqである」を仮定しています。その次は含意除去により結論qであるを抽出。

次に結論した命題「qである」から「qならばrである」を導いて含意除去しrであるを抽出。

最後は前提の「pである」をキャンセルし含意導入。結論が「pならばrである」と演繹できました。除去と導入の規則に従う推論により、仮定の集合{p→q,q→r}からp→rの三段論法が成立することが証明できました。

こうやって見ると論理的な証明は予め決められた規則に従うだけの、機械的な手続きてあることが分かります。数学や論理を考える時は、一旦日本語の「ならば」は頭の片隅へ追いやり、論理的な含意として新たに認識する必要がありますね。勝手に日本語の「ならば」の観念が連想されるので難しいですが。

数学的、論理的な思考が得意な人はこの切り替えが上手いのでしょう。

高度な数学の意味が理解できないのは、そもそもそれがまた意味を帯びていないからなのかもしれません。

意味はあとづけ

並の想像力なら論理式を見ただけではそれを観念的に理解することはできません。しかし脳は習性として何が何でも現実に意味を見出そうとします。そうやって意味のないことに意味を見出そうとして、目の前の現実を処理できずオーバーフローしてしまう。これが混乱の原理なのだと思います。

その辺の石ころと同じで、それが存在する意味を見出せるのは、それが何かを起こしてから。何も起こらなければ意味なんて見い出せません。

同様に公理から演繹した段階では、それがどんな意味を持っているのかは分からない。それが人の役に立って始めて意味を帯びる。意味はあとづけ。

在るものは在るものとして受け入れるだけ。意味なんてない。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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