デイビッド・ベナビデス vs アンソニー・ディレル 戦いのコミュニケーション

メンタル

最近ベナビデスのハイガードを研究していて感じるのですが、この男は不気味です。まさにメキシカンモンスター。狂気を感じます。

それにしてもクロフォード然り、アメリカ人はコミュニケーション、ジェスチャーが上手いですね。多民族、多人種が入り混じる歴史的な背景を感じます。

日本のように長い封建制が敷かれた歴史背景はなく、開拓者精神によって作られた新しい国です。統一された価値観はありません。強烈な自己主張と利益は己の手で勝ち取るというマッチョ文化が根付いているのでしょう。

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戦いはコミュニケーション

ところで僕は「ジムでは礼儀正しく」ってことに違和感を覚えます。武道の名残だとは思いますが。
ベナビデスのコミュニケーションを見ながら礼儀作法と敬意について考えてみます。

威嚇が戦いの本質

ディレルもベナビデスもアメリカ人らしくコミュニケーション能力が高い。ジェスチャーも分かりやすいので勉強になります。

序盤は両者ともにパンチをディフェンスすると、表情、ジェスチャーで相手を否定する態度を示します。この手の威嚇は動物もやりますよね。ゴリラのドラミングやライオンが牙をむくような行為です。
本当に死ぬような戦いにしないための本能です。一対一で同種の雄が本気で戦えば、勝てても致命傷を負う確率は低くありません。だから動物は不要な怪我を避けるための威嚇によって敵を精神的に屈服させます。人の戦いでも同じ。本当に身体が動かなくなるまで痛めつけるのは難しい上に、自らを危険に晒します。
嘘をついたり見栄を張ってマウントを取ったり。全部威嚇行為の延長線上にあります。群れの序列争い。

ボクシングのKOのほとんどはダメージで動けなくなるのではなく、精神的な屈服によって引き起こされることがその証左です。基本的には降参の意思表示です。

礼儀正しく?

「礼儀正しくやりなさい」とジムでは教えられますが、僕は戦いはそんな”きれいごと”では遂行できないと考えます。井上尚弥選手も相手を否定するようなジェスチャーをしますよね。ボクシングは相手より強いことを態度を示して精神的に屈服させるゲームですから、相手への服従を示すような礼儀正しさは負けへ作用します。

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ベナビデス「効かないよ(ニヤニヤ」
ディレル「まあまあじゃない?(うなずき」
どちらも獰猛さが滲み出ていて不気味で、ベナビデスからは狂気すら感じます。
序盤は互角ですが徐々にベナビデスがディレルを呑み込んでいき、ディレルの表情から余裕が失われていきました。

時々、このようなジェスチャーは「相手に効いたことを表明するようなもの」という意見をみることがあります。それは違います。効いたのではありませんし強がりでもありません。確かに強がりの選手もいるはずですが、普通は本心から「やりやがったな、覚悟しろこの野郎」という意思表示をしています。ライオンが牙を向いて威嚇しているのと同じ行為です。強がりではなく単純な威嚇。相手を蛇に睨まれた蛙にするのです。戦いでは眼光と表情で震えあがらせてください。

勝った後のリカルド・ロペスの表情。

試合前のフェイスオフ時の殺意の眼光。

決して強がりではありません。
「降参した方が身のためだ、徹底的に痛めつけるつもりでいる」
という意思表示です。

ゴロフキンの獰猛な表情に刮目せよ!
こんな鬼の形相で殴られたらどうでしょう。震え上がって勝負を投げ出してしまいます。

表情は意思表示です。
「もっとやってもいいけど、やめた方がいいんじゃない?怪我しちゃうよ?」と。だから、みんな諦めるです。恐いから。ボクシングのKOの大半は降参の意思表示で終わります。マジでぶっ倒されるのは珍しいですよね。

それにしてもディレルの動きはスーパーミドル級だと並外れていると感じます。パンチもスピードもテクニックもある。そのディレルを仕留め切るなんてベナビデスはカネロより強いんじゃないですかね。
このスピードとディフェンスとプレッシャーならカネロを窒息させられるかと。
ベナビデスはカネロとやりたくて仕方ないんじゃないかなあ。ノロノロ動いているかと思えば緩急利かせたアクロバットもできるし。このサイズでこの爆発力は動物並みですね。
プラント戦楽しみです。

武道の名残

海外の選手が「相手をリスペクトする」と言いますが、これは礼儀作法の話をしているのではありません。相手の知性、肉体、技術を警戒しているってことです。
つまり、「相手に敬意を払う」と「礼儀作法を守る」というのは異なるんです。

相手を過小評価せず、警戒心を要求するための教えが本来の「礼」だったのだと僕は思います。しかし時間が経つに従い「礼」は形骸化し、礼儀作法だけが独り歩きしてしまった。結果的に「礼」という虚構が戦いの本質を見えなくしてしまっているよな気がします。

現代社会で挨拶は礼儀作法として浸透し当たり前に要求されます。常識だからという理由でいつでもどこでも要求されます。まあ、普段の生活ならそれで問題はないとは思います。
ただ、その延長線上で戦いにおいても礼儀作法が要求されるのは問題だと僕は考えています。

戦いの本質は相手を屈服させることです。その戦いの最中に相手に服従を示す礼儀作法なんて逆の作用をすることしたらダメじゃない?と僕は思います。戦いの最中は無礼でいいんです。意思の押し付け合いなのだから。

挨拶と言う行為が相手に無防備に頭を差し出したり、武器の所持を確かめさせるようなハグや握手という行為になっているのは、元々は歴史的にそうする必要があったからだと僕は考えています(所説あり)。相手に敵意がないことを示し、またあえて身を危険に晒すことで相手への敬意を示したわけです。でも戦いで「あなたには逆らいません」の意思を示してたら勝てません。

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この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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