「自信」はありのままの自分を認めること

メンタル

下の記事の焼き増しになるのですが、「自信 = 自分を信じる」とは何かと考えてみます。

「自信を持て!」。
試合前や恋愛、仕事などの大事な勝負事の場面でかけられる言葉です。
そう言ってくれる人は励ましを込めてくれているのでありがたいことではあるのですが、僕はこの言葉に救われたことがありません。
「自信」は曖昧で掴みどころのない概念だから。
皆さんもそうではないでしょうか。
率直に言ってしまえば、僕にとっては本番前の「自信を持て」は雑音に過ぎません。

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自信とは

「自信を持て」と声をかける指導者もそれを聞く選手も、それがただの雑音にならないようにその意味をしっかり定義して共有しておく必要があります。
これは実行能力の担保として必要なことです。

と言うわけで、ここでは僕なりの「自信を持つ」を定義していきます。

自信 = 自動制御

「自信」を定義するためには自動システムという長濱説を知っておく必要があります。
自動システムは一般的には「フロー」と曖昧に定義された、到達した瞬間にそれを実感できる心理、身体状態ではないかと僕は思います。

自動システムは身体を自動制御します。精密かつ迅速に。
「身体が自動制御される」という話には違和感を覚えるかもしれません。
しかし、自動システムによる身体の自動制御は特に子供の頃に強く働くので、誰でも体験したことがあるはずです。
例えば自転車の運転。
自転車に乗っていると想像してください。
運転中に「右のペダルを押して、ハンドルを左に切って…」なんてことは考えませんよね。
自転車の操縦はおろか「次の角を右へ曲がって、直線して二本目の道を左折」といった目的地までの道順すらも考えないはずです。現在地から目的地までの道のりは直感します。
さらに、待ち合わせの時間が設定されているのなら、目的地までの距離と現在の速度を考慮して「急ぐのか」それとも「余裕があるのか」を意識的な思考を介さず直感できます。
仮にそれが海を超える旅であったとしても、潜在意識は「飛行機」「船」など様々な、そして合理的な方法を瞬時に算出し提示してくれます。
もっと言うと、その為に必要な費用、時間の概算までも提示してもくれますよね。
従うかどうかは置いておいて。

潜在意識は行動におけるネガティブな、つまり行動しない理由を探すときに最もクリエイティブになります。
皆さんもそうではないですか?この計算処理も自動システムがあらゆるリスクを引っ張り出して行っています。

それに気を止めないだけで、僕達は誰しもクリエイティブな結論を導き出す超高度な計算処理を行っているのです。
顕在意識はその結果を受け取っているに過ぎない、と言うのが長濱説です。主体は潜在意識、顕在意識はOSを助けるアプリケーションに過ぎません。
自動システムには目的地の「イメージ」と「強烈な意思(欲求)」を渡すだけです。仮にそれらが揃っていたなら目的は遂行されます。

この発想を一般化したのが自動システムです。
自転車の例のようにスポーツでも練習したことは勝手に”起こる”のです。
「練習したことをやる」のでも「起こそうとする」のでもありません。
OSである自動システムへの命令に要求されるメッセージは勝つという強い意志とそのイメージだけ。
目的の達成に必要な工程は友達の家までの経路、時間を導くように自動システムが全て行ってくれます。

さて、自分を信じるとは何か。
それは「自動システム」に全ての制御を委ねる覚悟を持つことです。
自転車に乗りながら「忘れ物はないかな…」「自転車の空気圧は大丈夫かな」「海の外を目指すなんて馬鹿げている無謀だ」なんて意識的な思考を働かせてしまえば、自動システムはその運転を妨害され、身体の制御を失います。
「大丈夫、忘れ物なんてない。全て完璧に用意した。海だって、俺たちなら超えられるよ」と言い聞かせて、自動システムに全ての制御を明け渡してしまうのです。全ての事態に対して自動システムは最適な答えを出してくれると、自身の根底に存在している、真の自分の選択は常に正しいのだと肯定します。

「全て用意した、後は自らの運命を見届ける」
運命を支配しようとせず、ただ流れに身を任せて、どんな結果であれそれを引き受ける覚悟を決める。
それができたなら不思議なことに現実に起こる様々な出来事は、全てシナリオライターが描いたシナリオであるかのような錯覚が起こります。
順境、逆境を含めた何もかもが最高の結末への伏線として楽しめるはずで、その瞬間に未知の未来への恐怖と不安がどこかえ消え去ります。

最強の心理状態フローが手に入るのは、困難を含めた自分の運命を全て自らで引き受けた時、つまり人生という劇の観客となって自分の演じる役を眺めている時です。少なくとも僕はそう思っています。
当然、観客には恐怖や不安といった感情はありません。
「次は何が起こるだろう」というワクワク感と「まあ、何が起きたとしても問題はない。それはシナリオの一部なのだから」という無敵感が心を支配します。

それは織田信長や坂本竜馬、ベートーヴェンにアインシュタイン、イーロン・マスク、スティーブ・ジョブズ、孫正義といった偉人達の狂気の行動力の源泉であり、「俺は何が起こっても対応できる。困難よ、かかってきなさい」という無敵の心理状態がフロー体験なのだと僕は思います。

自信とは本性を曝け出すこと

ここまで少し抽象的な話をしてきました。
ここからもっとありふれた感覚としてのフロー状態を考えてみます。

ここまでをまとめると。
自動システムに全て任せて自らの顕在意識が傍観者となる心理状態、「やることはやった、なるようになる」が自信です。
「まくとぅそーけー、なくるないさー」「人事を尽くして天命を待つ」「煩悩を捨てなさい」といった言葉はきっと、フロー状態になった人間が残した言葉です。

フロー状態への僕の考える最初の入り口は自らの感情の全てを肯定し、曝け出すこと。
恐怖も不安も喜びも、心から湧き起こる感情の全てを肯定し、問題ない、それでも上手く行くと。

試合や仕事、恋愛などの勝負事では「こうすべき」「これはダメだ」と自分を抑圧するのではなく、自らの直感と欲望に身を任せて、自分の内面にある勤勉さや勇気、狂気を解放していけばいいのです。

ちょっと悪事を肯定しているようにも聞こえるかもしれないので補足しておきます。
悪事を働く人の中で本当に悪事を働いて何かを手に入れたいと望む人はいないはずです。
本当はありのままの自分を承認されたいはずで、感謝されながら自分の欲求を満たしたいはず。
しかし、経験によって培われた、能力と才能が自分にはないとする強迫観念が、歪んだ欲求を生み出しているのだと僕は考えています。
例えば神様が「全て与える」と言っているのに、あえて泥棒をしてしまう人は、誰かに自分の存在を承認されたいと思う感情に気が付いていないだけだと僕は思うのです。

閑話休題。
「こうあらねばならない」「こう思われたい」といった強迫観念を捨て、心の奥底に存在している真実の自己を心の外へ連れ出し、彼こそが最高の姿なのだと肯定できること、それが「自信がある」ということ、所謂フロー状態ではないかと僕は思います。

「自信を持て」は「タガを外してこい!」と翻訳します。
「ありのままの姿を曝け出してこい!そしたら全て上手く行く」と。
執着を捨て自分の心を解放することができたら、結果は着いてくると考えるのです。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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