無駄を徹底的に省いて効率だけを追求し「効率」に執着し続けると、目に見えない機会損失が膨らでいく。
感情は最短路を知っている
目に見えない機会損失
完璧を目指すことが孕んでいる危険性についてはこのブログで何度も取り上げてきた、最近だと頻出するテーマです。
無駄を省いた計画を立てることは、一見すると「ゴールまでの一本道を描く」合理的な方法である気がしてしまいます。
そう考えてしまうのは僕が物理的な空間に住んでいるからだと思います。
そこでは現在地から目的地までの道のりの計算に距離という概念を利用することで、迅速に目的地に到達することができます。
僕はボクシングもそうやって考えた結果、遠回りをしてしまいました。
物理的な最短路は現在地から目的地までの直線路なのですが、競技力向上という空間はそうなっていません。
どんな道を通ったのかは、全て終わった後で明らかになります。
簡単に例えると技術向上を目指すのは暗闇を手探りで歩くようなもの。触りながら道の形を感じ取る感性の方が計画性よりもよっぽど大切です。
「知識」という名の羅針盤は感性の磨かれた(強迫観念がない)人々には不要な程度には不安定なものです。
競技力の向上に求められるのは成長のブレーキとなる「上手にやろう」「効率的にやろう」といった強迫観念を捨てて楽しむ心。子供の頃がそうであったように、無駄を恐れず、自らの行動を評価せず、ただ好奇心に身を任せて楽しいと思えることに挑戦すること。
無駄に見えた寄り道が未来の最短路を形成します。
無駄を楽しむこと。
これが最も効率的な技術習得のマインド、方法論です。
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