以下の動画でフォームに執着すべきではないとお話していますが、今回は執着が生む損失について解説します。
長濱拳法の技術の根底に流れる思想「自分で自分を定義しない」ことへ繋がっていきます。
執着心と機会損失の論理
パンチのフォームを例に
分かりやすくパンチのフォームを例に挙げます。
初心者の内ってサンドバッグを殴った時の衝撃が毎回違いますよね。
常にズシンと衝撃は起こりません。
パスパスしている数十回に1回程度ドシンと衝撃が走ります。
熟練してくると納得のいく衝撃が起こる頻度が上がっていきます。
初心者はサンドバッグとの距離、力を発揮するタイミング、パンチの軌道など衝撃を生み出すために必要な歯車がかみ合っていないからです。
しかし何十回に一度、距離、角度、サンドバッグの位置などなど、多くの”偶然”が重なって歯車が噛み合います。その時に強烈な衝撃が起こるわけです。
熟練してくると無自覚に上記の条件を揃えるのが上手くなり、毎回同じような衝撃が起こせるようになります。
これは競技力を評価する上で重要な指標で「再現性」と呼ばれます。
パンチの歯車は大量にあって、また繊細かつ個々人によって歯車の大きさが異なるため万人に共通するフォームはありません。
これらを全てを完璧に嚙み合わせることは非常に困難な作業となり、鋭敏な感覚が求められます。
この歯車を嚙み合わせる感覚を熟知している人を達人と僕達は呼びます。
同じ人種、体格、体重であっても競技力に大きな差が生まれてしまうのは、歯車を嚙み合わせる方法を熟知するのに並外れた根気と正しい知識(or 無知)、繊細さ、幸運が要求され、誰にでもできる作業ではないからです。
メジャーリーグの自由なスタンス、フォームを見よ!
彼らは誰かが作った権威を表現しているのではなく、彼ら自身の経験、知識によって構築された信念を表現しているはずです。
ボクシングももっと自由でいいはず。
偶然が支配する世界
閑話休題。
皆さんも全身の歯車を嚙み合わせるコツを掴んだことがあると思います。
「あれ、今なんか拳がすごいスピードで飛んでった。」って。
その発見は意図しない偶然ではなかったですか?
このフォームでなければならないと思っている人は打撃の衝撃や初速ではなく形を最優先します。
そうなると認知できる範囲が限定されてしまい、競技力が飛躍する「コツ」が転がり込んできたのを見過ごしてしまいます。
試合もそうです。
「こうやって勝つ」
と勝ち方に執着していると、相手の表情から発せられる迷いや戸惑いなどの弱気のサインを見逃してしまいます。
アウトボクシングで勝つことに固執しすぎて、打ち合いを嫌がる素振りを見逃してしまうかもしれない。
そうなると勝てた勝負を逃してしまいます。
成長に必要なのは正解を追い求める執着心ではなく、偶然を取り込む柔軟なマインドセットです。
時間や労力に執着せず色々な方法を試してみる子供のような好奇心、昨日より強くなろうとする向上心、過去を捨てる度胸。
このマインドセットに偶然が引き寄せられることを僕は現時点では確認しています。
自分で自分を定義しない
「こっちの方がより自分自身を表現できるのではないか?」「自分のポテンシャルはこんなものではない」。
執着を捨て、自分で自分に植え付けた「限界」という固定観念を破壊し前進を続けることで、運命に自分を定義させる。自分で自分を定義しないとは、僕の運命の流れに身を任せる人生観にも繋がっています。僕が何者であるのかは僕は知り得ません。運命だけが知っています。
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