最近娘と過ごす時間が楽しくて、ブログとyoutubeの気力を失っている股関節おじさんです。
娘の自我が萌芽し、好き嫌いや優先順位が付けられるようになってきました。
上手くいかないことがあって、それがどうして上手く行かないのか理解できずに癇癪を起してしまったり、まだまだ人としては未熟なんですが、それでも僕やアンパンマン、動物や虫に愛着をもって接するようになって、あっという間に人らしくなってきたことを驚きを感じています。
「パパ、こっち、おいで」みたいにコミュニケーションもどんどんとれるようになってきて、会うたびに愛おしくなっていきます。
子供への指導
僕は平仲ジムで多くの子供達を指導する機会に恵まれました。
県大会を勝ち抜くことができなかった高校生が1年で全国大会へ出場するなど、まだまだ自慢できるほどではありませんが、子供達の指導に手ごたえを感じています。
下の子供達の動きを見てください。
黄色のシャツの子は半年しかボクシングをしていませんし、僕はほとんど教えていません。
彼らの元々持っている能力を引き出すことに注力しました。
ゆたぼんとも1年ほど一緒にボクシングをしました。
奇しくも彼と僕は同日に平仲ジムの門をたたき、同時に平仲ジムを去りました。
これまた奇妙なことに彼は今日本全国を旅していて、僕も日本全国ボクシング武者修行をしています。
また再会するんだろうなって不思議な縁を感じます。
話を戻します。
この日までに彼は恐らく8か月~10か月のボクシングの練習を積んでいたと思います。
短い期間でかなり上達したと思いますが、僕は手打ちもディフェンスも教えていません。
上記の動画を載せたのは少し僕の言葉に説得力を持たせたかったからです。
子供に限らずですが、スポーツ、勉強で大切なのは楽しむことだと僕は考えるようになりました。
平仲ジムで子供達に教えてもらいました。
ボクシングは修行ではなく娯楽です。楽しみにながら学ぶから、子供の学習は大人より早いのです。
練習は自らを抑圧することではなく、自らの心と体を解放することです。
大人は僕も含めて、何故だか練習は自らを抑圧することだと考えがちです。
そして時にその価値観を子供達へ押し付けてしまいます。
僕は自らの経験や子供達への指導経験から、この価値観ではうまくいかないのではないか?と考えるようになりました。
一生懸命に鏡の前で素振りをしている子は「踵を上げて、腰を強く回す」といった、所謂ボクシングの型にハマってはいるのですが、構造的な力みにより動きがギクシャクし、また意識的故の鈍い動作をしているのです。
一方で、見る人が見ればいい加減に見える子供達ほどデービスやメイウェザーのような立ち方をして、一流選手に近い、しなやかで機敏な動作を見せてくれます。
僕はその理由を考えて、現時点での答えに行き着きました。
もしかして、現状広く一般に受け入れられている指導は間違っているのではないかと。
2か月ほどでこの答えに行き着いて、指導方針を転換、その後から入門してくる子供達は新たな方針で指導し始めました。
すると教えていないにも関わらず、僕が合理的だと考える動きを子供達は当たり前のようにやるのです。
頭に電撃が走ったような気がしたと同時に、現役時の僕のやり方を全否定したような爽快感を覚えました。
やり方を間違えていたと感じたからこそ、新方針でもう一度挑戦したくなりました。
僕は自己を抑制し我慢することが練習だと考えていました。
でも今は違います。練習は心の解放です。
今は「世界チャンピオンになる、練習はそのための修行」といった固定観念に囚われず、「とにかくやりたいように楽しくやって、心を開放する」ってことに集中しています。
考えてみれば、スポーツや芸術などの文化活動は人の心を解放するために発展してきました。
きっと大規模な戦争を行う為に必要な軍隊の厳しい規律がスポーツや芸術へ持ち込まれた結果、今のような「スポーツ = 修行」という固定観念が大衆へ植え付けられたのでしょう。
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