今年は野木トレーナーの還暦祝いです。
僕は野木トレーナーから盗みたいものがあります。
それはボクシングへの情熱、そして知識、経験です。
選手として辛い経験をした過去があるからこそ選手のことを一番に考えてくれています。当たり前のように自分を犠牲にして選手に尽くしてくれます。
だからこそ階段のトレーニングに競技を問わず色んな選手が集まるんだと思います。
卒業後、当時の早稲田大学競走部監督であった中村清から誘いを受けるが、ボクサーの夢を捨て切れず小出の紹介でミカドジムに入門。プロボクサーとなり3戦3勝(1KO)をマークしたが、ジムが協栄ジムに吸収合併されることになり、その際起きたトラブル[1]により、当時の協栄会長金平正紀の圧力を受けた結果10年間1試合の出場も許されずに延々と干され続け、1991年に引退した[2]。
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野木トレはやばい
僕のボクシングのベースとなる考えを与えてくれました。
常識から外れていたり、直感には反する考え方も多い。
衝撃的な発想ばかりです。
野木トレーナーの指導を受けた選手の比嘉大吾、長濱陸、木村吉光など。
最初の想いは共通しています。
「何を言っているんだこのおじさんは」
本当にこう感じたんです。
それはいわゆるボクシングの常識や直感からかけ離れているからです。
でも自分自身のボクシングへの理解が深まるにつれこう変化します。
「野木さんはやばい」
今回は色んな教えの中から特に僕の核となっているものを共有したいと思います。
心理的限界
肉体的限界と心理的限界ってのを教えてもらいました。
人間の限界ってのは想像の遥か先にあると。
自分の才能を奪うのって自分なんですよ。
人間の限界ってのは自分が考えているよりも遥か遥か彼方にあります。
最初、僕は階段トレーニングでは女子選手にも追いつけず、最後尾を何とかついていったんです。
腹筋すらろくにできませんでした。
「階段の先頭を走ってる奴らはどこか違う。元々凄い」
当時は本気でこう考えていました。
野木トレーナーにしごかれた今では階段は先頭を走ります。
始めはあんなに遠いと思っていた先頭を今走っています。
練習中に「もう無理だ」って数えきれないくらい思いました。
でも野木トレーナーは「できる!できる!」って励ますんです。
過酷な階段トレーニングの先頭を走れるのも野木トレーナーが僕の限界を少しづつ押し広げていたからです。
「もう無理だ」から「頑張ったらできた」って成功経験を何度も何度も繰り返すうちに少しづつ僕の心が変わってたんです。
「やればできる」って。
「為せば成る」っていう確信を手に入れることができました。
これが野木トレーナーに教えてもらった重要で僕の核となる考え方です。
試合や人生で苦しい時こそ、前向きに捉えることができます。
ボクシングに限らずそうだと思いますが、ものごとって捉え方次第で大きく見え方が変わってきます。
ピンチはチャンスなんです。僕はピンチになるとワクワクします。
こんな性格に変えてくれたんです。
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