ミーハー論

よもやま話

ミーハー論的に社会を考察。

何故、古くからある伝統的な文化には複雑な作法が残されているのか。
言い換えるなら、何故複雑な作法のない文化は廃れたのか。

個人的な思い出から以上を導く論理を推理してみます。

2ちゃんねるやニコ動は知っていますか?

今もありますが、僕が遊んでいた頃のそれは、今のSNSを”より閉鎖的”にしたような空間でした。

だからこそ、仲間意識、共同体意識が芽生えるのか、ニコ動が開催する大規模なイベントは異様なほどの熱狂を生み出していました。興味本位で見に行った僕にはついていけなかったほど。ミーハーの僕は本物が持つエネルギーに弾き返されました。

ヲタク社会という、ミーハーを弾き返す程度には閉鎖的空間ではあるのだけど、アメリカ人が「オーマイガッwww」、と日本人と一緒に楽しめる程度には調和していた奇妙さが印象に残っています。

今のユーチューブでは当たり前となっている、ダンスや歌、またはラノベなどの二次創作や、今は推し活と呼ばれる投げ銭行為は、この辺りから加熱し始めたと記憶しています。

以上の僕の経験から導かれる一つ目の推理は、「文化は閉鎖的な社会で醸成され発展していく」です。

これから述べるように、当時は、スマホが普及する今ほどのネットの大衆化は見られませんでした。

僕の父親はWindowsにかなり早くから飛びついた層で、我が家には僕が幼い頃からコンピューターが何台もあったことを記憶しています。今思えば当時の価格でコンピューターを何台も揃えるなんてのはマニアです。

恐らくは教育の一環で、僕には小学生か中学生の早い段階で父親からリナックスが与えられました。僕は、その時にゲームを作りながらプログラムと二進数、それらがコンピューターハードウェアを動かす仕組みを学びました。

今はボクシングでそうしているように、どのような原理でそれが動いているのかを自ら分解して確かめなければ気がすまないタチです。これは俗にアスペと呼ばれる人の自閉的傾向だと思います。

規則性へ強い関心を向ける人種
数学の問題を解いたり、パズルを組み立てたり、詰将棋をすることは好きですか?または規則的な動きや形にばかり目が行くとか。話の雰囲気よりも論理的な接続関係に興味が向かうとか。 だとすれば、あなたはパターンシーカーかもしれません。上の書籍では、人...

そして、ネットを徘徊する内にいつの間にか2ちゃんねるへ辿り着きました。

僕の経験から言えば、今のスマホとは異なり、当時にパソコンを所有し、またネットを徘徊するなんてのは、金と知識と忍耐が要求される、非常に面倒な行為でした。

すなわち当時のネットにいられたのは、相当な熱意のある一部の物好きだけだった、と言い換えられます。僕の小中学校で話ができたのは、ほんの一握りのヲタクだったと記憶しています。

ネットのコミュニティーは今のようにオープンではなく、むしろクローズドな印象を受けました。今もそうなのかもしれませんが、当時は新参は警戒されるかバカにされていました。

ただ、そこへのアクセスまでにかかる労力や新参を警戒する文化は、ある意味では、ミーハーを弾き返すフィルターの機能を果たしていたのだと、この歳になって理解しました。

ミーハーの中にも、その文化を本当に愛してその社会の一員になる人もいるだろうとは思います。
しかし、大半はブームの終焉と共に去ります。

彼らが去った後に残されているのは、ミーハーでも分かるように簡略化された、深みのない文化だけです。そうなってしまえば、ミーハーを警戒して脇役に徹していた、その社会の文化が好きでそれを大切にしていた人達はうんざりして戻ってこないだろうと予想できます。

まとめると。

伝統的な文化にある作法の複雑さや武士道に要求された過激さは、ある意味ではミーハーの侵入を防ぎ文化を守る防御壁の役割を果たしていた。だからこそ、長らく存続した。

文化を存続させる為には新規を取り込むことは大切です。しかし大前提として、古参を蔑ろにしてはいけないだろう、と。

ボクシングなら、ミーハーを取り込むことだけに力を入れるのは、長い目で見るなら、文化の衰退を含意しているのではないかと。

「チンピラの殴り合い」は、バカ相手にも説明が簡単。一方で、「勇気と知恵を競う殴り合い」なんてのは矛盾していて説明しづらい。しかし、どちらが親に好まれ、長期的に存続するのか、という視点からなら答えは明白だろうと。

すなわち、ボクシングという競技を愛している古参のファンは何を愛しているのか、にも目を向ける必要があるだろうということ。

足繁く後楽園ホールや地元の興行に足を運んでくれるファンもいますからね。

拝金主義的に、ブームに乗るだけのミーハーばかりを歓迎するなら、あっという間にその文化は消えてなくなるだろうという推理です。

ミーハーは、日本語の俗語で、軽薄な、流行に左右されやすい世の中の風潮や人を意味する。 流行や話題となった人物・事物の動静に、もともと興味がなかったにもかかわらず、にわかに熱中する者(にわかファン)に対しての蔑称として用いられる。

引用ウィキペディア

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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