昨日、長岡の試合がありました。
結果は引き分け。優勢点という特別ルールにより、新人王戦は勝ち上がりました。
厳しい評価をすると長岡は毎試合悪くなっています。自らパニックへ陥り打ち合いへ、というパターンが試合ごとに強くなっいます。
昨日の試合は、初回で相手は「ヤバい」と感じたそう。僕も他のボクサーもそう感じていました。「このままなら勝てる」と。
そうでなかったのは長岡だけ。
長岡の主観が優先されるべきではあります。彼が感じたことが正しくはあります。しかし、状況証拠から察するに、長岡はパニック(負のフィードバックループ)の入口へ自ら足を踏み入れました。そして、眼の前で何が起こっているのかを見失いました。
交通事故においては、運転手がその予想に反して起こった事に驚いてブレーキとアクセルを踏み違えるなんてことはよくあること。売り言葉に買い言葉で殺人が起こってしまうなどもそう。
長岡は落ち着いていればブレーキを踏む場面で、パニックに任せてアクセルを踏みました。
これは四回戦の試合では頻繁に見られる現象です。練習の姿が出せない、練習(ジム)チャンピオン、本番に弱い、などと揶揄されます。
長岡の例のように本番と練習の姿が異なる、といのはボクサーに限らず社会で働く人の共通する悩みだと思います。商談やプレゼンでイメージ通りできない、オフィスの外なら強気なのにいざ出勤すると上司の言いなり。配偶者や恋人に言いたいことが言えない。
パニックに陥り、ありのままの本来の姿で振る舞えない。
長岡が令和の虎で沈黙した時と同じことが毎試合起こっています。
長岡が克服しなければならない彼の弱さです。
膨らませすぎた想像(妄想)と現実のギャップに驚いてパニックへ。
日頃からマトリックス(妄想)が現実を覆い隠し、眼の前で起こることに盲目にしているからと僕は考えています。
「こうだろう」「こうあるべき」という肥大化した認識が現実と向き合うことで少しづつ解消されていく人、いつまでも空想の世界を生きる人。
僕は経験的統計によれば、二通りに別れます。
指導者として、そして選手として、現実に目を向けること向けさせることは非常に難しく感じます。
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