「関係」という概念のドツボにハマりました。
まあでも、ここを走り抜けば何か見えてくるはず。
「関係」「直積集合」「写像」のそれぞれの概念を定義する議論は理解していると僕は思っています。
なので、それぞれを眺めているだけなら何かを感じることはないのですが、それらを並べて見てみると、何だかそれらを内包するもっと大きな論点があるような直感が働くのです。
「写像は集合Aの元と集合Bの元の対応関係だから~関係の定義は直積集合の順序対(集合A,Bの対応)で~順序対は見方を変えると写像じゃね?~つまり写像は関係で…(以下無限ループ)」
みたいな感じで堂々巡りと言うんですかね。同じ場所をグルグル回っているような不快感を覚えるんですよ。
そうなってしまうのは、僕の頭の中にあるであろう仮想空間に配置された個々の概念の座標が、とても曖昧だからだと思います。
ただ希望もあって、それは直感的に数学の個々の概念が一枚の絵で描き表せるような気がすることです。
というわけで散乱した概念を整理していきます。
二項関係
取り敢えず二項関係から学んでみます。
数学において、二項関係(にこうかんけい、英: binary relation)あるいは二変数関係 (dyadic relation, 2-place relation) は、集合A の元からなる順序対のあつまりである。別な言い方をすれば、直積集合A2 = A × A の部分集合を、集合 A 上の二項関係と呼ぶ[1]。あるいはもっと一般に、二つの集合 A, B に対して、A と B との間の二項関係とは、直積 A × B の部分集合のことをいう[2]。
Wikipedia
Wikipediaの解説を見ると直積集合と二項関係の大枠のイメージは同じなのかなと。
自然数の直積集合 $\mathbb N^2$ の元は(1,1),(1,2),(1,3)…のような自然数の組み合わせ(順序対)で表せます。
二項関係のイメージは直積集合のイメージと似ています。
関係の一種として写像を定義する場合
本題はここからで、定義的に写像は二項関係と考えることもできるよねって。
集合論においては、集合 A, B の元の順序対からなる集合(すなわち二項関係)f が
・x ∈ A ならば (x, y) ∈ f を満たす y ∈ B が存在する・(x, y1) ∈ f かつ (x, y2) ∈ f ならば y1 = y2
の二つをみたすとき、f を A から B への関数と呼び[7]、f: A → B で表す。またこのとき、(x, y) ∈ f であることを f(x) = y と書く。この文脈では、f と f のグラフ {(x, y) | y = f(x)} を同一視し、関数と写像を同じ意味に用いる。 二つの写像 f と g の相等は、集合として同一であるということ、すなわち∀x∀y ( (x,y) ∈ f ⇔ (x,y) ∈ g )ということであるが、これは( f と g の定義域が等しく、かつ)任意の a ∈ A に対して f(a) = g(a) であることと同値である。
Wikipedia
「集合論においては、集合 A, B の元の順序対からなる集合(すなわち二項関係)fが~」
これは直積集合のことですよね。
僕なりに翻訳すると
「集合A,Bの元の順序対を集めた二項関係の集合f(直積集合)のどの元を選んだとしても、それが集合AとBの元の組み合わせになっていて、且つその組み合わせが集合fにただ一つだけの場合、fをAからBの関数(写像)と呼ぶ。」です。
ぼんやりとですが分かってきまいた。
y軸が集合A、x軸が集合B、グラフ全体が直積集合、()が二項関係。
緑色の二項関係を集めた直線が写像を表す集合。
集合が一つ増えて三次元座標になると、写像は立体的なグラフになります。
すっきりしました。
堂々巡りしていたのも納得できます。
前提となるのは集合なんだ。
その枠組みを直積集合に分割できて、さらにその直積集合の中に二項関係が定義できる。その二項関係の集合で写像が定義できる。
だんだん細かくしているような感じか。
「数学」って言葉に対して僕が抱く観念は膨大な知識の詰め合わせであり、想像を超える大きさを扱っているような気がしていたのですが、真実はそうではないのかも。
もちろん、体系としては全体像を把握することすら困難なほどの広がりがあるのですが、実際には世界の本質を扱っているわけだから、「広大な空間に様々な概念が配置されている」と考えるよりは、むしろ「小さな空間に何層もの概念のレイヤーが折り重なっている」と考えた方がいいのかもしれません。
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