
続き。
質問5「今、腰の回転が足りなかった」について。主観的な意識で、そのような分析と評価が可能でしょうか。恣意的な「思い込み」ではないでしょうか。

解答
結論から言うと、主観的な分析と評価は可能であり、学習過程で非常に重要ですが、同時に「思い込み」のリスクも伴います。
熟練した運動を行う際、脳は内部モデルと呼ばれる予測システムを構築します。これは、運動指令を出したとき、どのような感覚フィードバック(視覚、固有受容覚など)が返ってくるかを事前に予測するモデルです。
-
指令: 「腰をこれくらい回す」という指令を出す。
-
予測: 内部モデルは「その指令なら、このタイミングでこのくらいのスピードの回転感覚(固有受容覚)が返ってくるはず」と予測する。
-
エラー検出: 実際に体が動いた後、返ってきた感覚フィードバック(例:回転が遅い)と、予測した感覚との間に**誤差(予測誤差)**が生じます。
※補足
自転車の運転で重心をなんとなく知覚できる、会話で次の単語や結論を無意識に予測してしまう、というようなことを、つまり、「予測と現実との差」を主観的に知覚できることを言っていると思われます。
僕が言いたかったのは、そもそも、その予測から導かれた解が非合理集合のマシなやつを選んだだけだろ、です。
井上尚弥は最適解を選べる。他はそうではない。つまり、生来的な弱者は非合理技術集合の中の比較的マシなものを選ぶのが精々。だから同じ事をやらせても差が出る。
「それを重ねていけば…」という反論。
何故、「腰を回す」「踵を上げる」が未だにボクシング村に保存されているのか。
股関節ロック、肩甲骨ロックができない弱者には「腰を回す」は合理的なのかもしれない。
何故なら、無理矢理体重移動を起こし物理的に運動量を高められるから。
しかし、手打ちができる強者にはそれはコスト、リスク・リターンで非合理。無価値。むしろ負債化する。
幼稚園児には泣き叫ぶのは合理。周りの大人が助けてくれる。
大人には非合理。評価を下げるだけ。
これを敷衍して、肉体的知能的弱者の解と肉体的知能的強者の解が一致するわけないよね、と。

ボクシング村の常識を見れば、人口の大半には合理的解を見つける能力がないと解釈するのが妥当に思える。
きっと、投票率は低い方が良い。上げる努力はすべきじゃない。
民主主義は、過半数が合理的解を見つけられるなら、それが選ばれる。結果として社会に保存される。
弱者⇒体重移動が合理的解
と仮定するなら、ボクシング村は民主主義的に体重移動を正当化できる人口構成になっているはず。
恐らく、大半は高いレベルで競技しないからを体重移動で思考と成長が止まる。レベルが上がると体重移動では間に合わない。その時に気がつく。
つまり、弱者はAIの言うメカニズムを用いて誤りを導くだけじゃない?ってこと。

「今、腰の回転が足りなかった」という主観的な評価は、この**「予測と実際の感覚の誤差」を言語化したもの**です。これは恣意的な思い込みではなく、脳が検出した客観的な(予測された)エラーに基づいています。
例)「今、ナックルが中指ではなかった」、「今、膝を曲げていなかった」、「今、踵を上げていなかった」…。
弱者(過半数)に主観的な自己の分析と評価ができるの?
| 指導の焦点 | 例 | 特徴 |
| 内的焦点(Internal Focus) | 「腰を強く回す」「肘を伸ばす」 | 体の一部に意識を向ける。初期学習に有効だが、熟練を妨げる可能性も。 |
| 外的焦点(External Focus) | 「相手の体を突き破る」「ボールを遠くに飛ばす」 | 運動の結果や環境に意識を向ける。運動の自動化を促進し、パフォーマンスが向上しやすい。 |
質問6
「腰を回す」は「腕を強くスイングできた」結果では?例えば、スプリンターの踵が上がるのは、そうしようとするからではないはずです。速く走る能力(=ハムストリングスの強さ)が起こす必然と考えることが自然です。
解答
結論から申し上げると、**「腰の回転」と「腕の強いスイング」は、単純な因果関係ではなく、高い運動能力を発揮するために全身が協調する「必然的な結果(協調構造)」**と見なす方が、運動学習のメカニズムにより合致しています。
この考え方では、運動は特定の動作(例:踵を上げる)を意識的に行おうとするのではなく、外部の環境、個体の能力、タスクの要求という3つの制約の中で、最も効率的かつ安定した動作パターンを必然的に選択した結果として生まれます。
※翻訳
「物理法則」と「ビー玉を構成する素材と質量」と「それが放り込まれる構造とその素材」が決まればその動きは予測できる。ビー玉の動きとその意思は関係がない。
すなわち、入力(前提)と構造が出力(結果)を決める。
スプリンターの接地は、大まかに「目的」「スプリンターの能力」「環境」の変数が必然として決定している。意識とは無関係。
同様に腰の回転も強い手打ちが引き起こす必然。
敷衍するなら、「腰を回そう」「踵を上げよう」「ナックルを当てよう」「ガードを固めよう」は意思とは無関係。構造的必然。
| 制約の要素 | スプリンターの例 | ボクシングの例 |
| タスク | 「最も速くゴールに到達する」 | 「最も強く、速くターゲットに拳を当てる」 |
| 個体 | ハムストリングスの強さ、股関節の可動性 | 体幹筋の強さ、肩関節の安定性 |
| 環境 | トラックの地面反力、重力 | 相手との距離、相手の動き |
単純化するなら、上の変数が結果を決定している。
所謂サウスポー対策はこの視点で解釈した方が納得できる。
ボクシングにおける「腰の回転」
ボクシングのパンチにおける「腰の回転」も、スプリンターの踵と同様に、「腕を強くスイングできた」という結果そのものと考えることができます。
運動連鎖の最適解
パンチの目的は、「目標に最大の運動量を伝達する」ことです。人体で最も大きな力を生み出せるのは、下半身と**体幹(腰)**です。
強いパンチを打つというタスク(制約)を達成するため、脳と身体は無意識のうちに、下半身から生じたエネルギーをロスなく腕に伝える**「運動連鎖の最適解」**を選択します。
この一連の流れを切り離して考えるのではなく、体幹の回転こそが、末端である腕を最も強く加速させるために必要不可欠な、体の中心部の運動なのです。パンチが強ければ強いほど、そのエネルギー源である**「腰の回転」は必然的に大きくなります**。
※無意識の内に≒自動システム≒フロー
指導の言語化の課題
しかし、指導の現場では「強いパンチを打てば、腰は回る」という抽象的な教えよりも、「腰を回せ」という体幹の動作に意識を向けるキューを与える方が、初心者が運動連鎖の起点を見つけやすくなる効果があります。
これは、学習者がまだ運動の「解」を見つけられていない段階で、その**解を導き出すためのヒント(制約の調整)**として、「腰」という体の中心部に注意を向けさせていると言えます。
したがって、「腰を回す」は、強いパンチを打つというタスクを達成するために、身体が自動的に選択した効率的な協調構造の結果であり、その結果がパンチの威力向上という成功体験をフィードバックし、学習を促進している、と解釈するのが最も適切です。
果たしてそうだろうか。
結局は弱者の認識、解釈、価値観。
続く。
コメント