嫌がるディフェンス

アリが嫌がっているのがわかりますか。
あなたがどうかは分かりませんが、僕にはそう見えます。
ヒトの反応速度から演繹的に考えるなら、ボクサーは危険を予測してパンチを避けています。
つまり、ノリで避けています。
嫌いな人が近くにいると嫌な気がします。それまでの経験から、本能が次に何が起こりそうかを予測しているからです。
路面が濡れると、経験的に転ばないと予測できる速度まで本能は減速させます。
パンチも同じ。
パンチを嫌がれるのは危険を予測できているからです。
また、アリの動きは練習し創り上げたものてはなく、反射的な動作の延長線上あるものだと分かるはずです。
本能的な動きあら無駄を削減した動き。

あるものを大切にして洗練させる。
怖がりなら怖がりを、大胆なら大胆を、繊細なら繊細を大切にすべき。
他人を羨んで自分を否定しても、無いものはない。


考えるな、感じろ
「ディフェンスとはこう」「ヘッドスリップとはこう」「仰け反るのはよくない」「前を見なきゃいけない」「顔を背けてはいけない」などなど、その先にはアリやメイウェザー、ハメドのボクシングはないでしょう。
頭で考えから始まる動作なんてのは、遅いし弱い。
咄嗟に出た動きを正当化する為の次のうこき。
この連続がボクシング。対応能力が戦いの本質。正解を求めるのは負けへの袋小路。
正しい方法を追いかけるのではなく、自分のやり方を「正しさ」に追いかけさせる。
ジム内でも国内でも、勝てば官軍、負ければ賊軍。勝って認めさせればいい。
他人の正しさに縋るのではなく、他人に自分の正しさを認めさせるのが楽しい生き方。そうしようと藻掻くのが楽しいこと。


結論。伝説的なボクサーであるアリやふぉあまん、パッキャオ、メイウェザーのディフェンスの類似性は偶然だろうか。
粘り強く勝負できる奴が強いことを根拠に我慢を要求するのは妥当だろうか。



アリの関連記事



コメント