人生の無駄遣い「モヤモヤする」

よもやま話メンタル

個人的な体験を例に「モヤモヤしている時間」が、人生においてどれほど無駄であるのか、を主張します。

モヤモヤ≒人生の無駄

僕は20代の後半から投資をしています。歴は五、六年になります。

「儲かりそうだなあ」と感じた資産に資金を移動させるか、あるいは、危なそうに感じた資産から資金を引き上げるか、ショートします。数カ月から長くても半年程度を想定しています。勝ったらラッキー程度の遊びです。まあまあ楽しいと感じます。

当たる時は当たるし、外れる時は外れます。将来の為にでもありますが、どちらかと言えば遊びです。ちなみに、娘の将来と僕の遊びの資金は分離していますのでご安心を。

今月になってふと、「刺激が足らんな。そうだ、ハイレバやってみよ」と思いつきました。

数倍のレバレッジなら経験してましたが、限界までレバレッジをかけた場に自分の心がどうなるのかは知りませんでした。2日ほど「恐いなあ。でも面白そうだよなあ。」とモヤモヤとしていましたが、「時間の無駄」と判断し、とりあえず10倍レバに挑戦してみました。

アメリカ新大統領就任ということもあり、値動きが想像以上に激しく、最初は面食らいました。

何事も初めはそうですが、損失からスタート。段々慣れてくると、チャートには癖があることに気が付きます。その規則に沿ってトレード。「少し勝率が上がる程度だなあ」と。

一時間足や十五分足、五分足に同じような形状が現れるのは、ヒトがリスクに対する認知の規則(平均からの乖離を恐れる)を共有しているからだと感じました。
統計に現れる分布の形状が投影されているんだろうなーとか思いながら楽しんでいましたが、ふと、「飽きた」と感じ、その場でテキトーに損切りして終わりました。

またやりたくなるかもしれませんが、今のところはもういいかなと。数学の問題を解いたりする時間の楽しさの方が、個人的にはコスパが高いと感じました。

儲かる儲からないの前に、飽きてどうでも良くなったという感じです。また、仮に才能があるなら、チャートに没頭できたはずです。そうではなかったのだと納得しています。悔しさもなく「俺には向いてない」という感情だけが残されました。

やってみて分かること

この体験で僕が感じたことを共有すると、「モヤモヤしている時間」は人生をドブに捨てる行為である、です。さっさとやってみて、それで思ってたのと違ったのなら方針転換すればよいのです。その方がスッキリします。

自分には向いていないとか、好きではなかった、と気がつけるのは長い目で見て損失を減らします。モヤモヤしない為の薬を買ったと思えば安いものです。

スパーリング大会やプロデビュー、起業や独立、海外移住などなど、やりたいならその前提でその期間は生きるべきです。モヤモヤすることに時間だけを浪費し、かつ何も始めない、なんてのは、無駄&無駄&無駄。緩やかな自殺です。ウジウジなにもせず、YouTubeや本を見てトレーダーに憧れる時間は、トレードで資金を溶かすよりも何十倍も無駄です。

トレードに限らず、本やネットで集めた情報のコレクションを眺めてモヤモヤするだけなら、それは緩やかな自殺です。やってダメなら元の場所へ戻れば良いのです。死ななければやり直せます。

「デイトレで死にかけたwww覚悟がないなら止めとけwww」「プロデビューしたけどダメだったwwwでもなwww挑戦は応援するぞ若者よwww」と、話してくれるおっさんと、「トレードとは…」「ボクシングとは…」と教科書の内容をクドクドと話すおっさん、どちらと飲み屋で話したいか。
「あんた、面白いなあ。実はそんな人を探していたんだよ」と次に繋がるのはどちらか。

答えは出ていると思います。

ウジウジモヤモヤした事実は役に立ちません。しかし、実際にリスクに飛び込んだ経験は必ず生きます。

僕はチャートが形成されるのを、「やっべ!大損こきそう。ここ抜けたら死ぬわ。神様お願いします。」と緊張感を持って眺めました。
その体験は僕の今後の投資体験を変えるでしょうし、今まで見向きもしなかったたチャートの形成過程を凝視し冷や汗をかいた経験は、きっと今後は別のスタイルで活かされます。

車の運転もそうですよね。濡れた路面や視界不良の危険は心で感じられます。運転教本の知識を思い出すことはしません。そんなことをしてたらむしろ危険です。つまり、心で瞬時に良し悪しを感じられないのなら、それは死んだ知識なんです。

正直、変動が大きくなる時期をあえて選んで10倍レバで大儲けを狙おうなんて、バカなことをやったな、と思います。損失も出しました。しかし、本当にやってよかったと思います。

僕の経験上、恐怖を克服しようと藻掻いたこの手の経験は、必ずどこかで利益を運んできてくれるからです。

試合やスパーリング大会で恐いと感じることや負けて悔しい、勝って嬉しいと感じる体験は、生きた知識です。それを感じることこそが生きるということ。

死ぬ直前は、そんな感情ですらも恋しくなるのだから。むしろ、そんな体験こそが恋しいはず。

「俺にはデイトレの才能があったかもしれないのになあ」と死が近づいて後悔しない為の権利を買ったと僕は考えています。安い勉強代です。

また、そんな事を繰り返すごとに、リスクをとり、ギリギリの緊張感を味わうとこそが生の実感なのだと感じるようになりました。そうでない人生は僕にはつまらない。

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この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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