ロマのダブルジャブ
ロマやメイウェザー、GGGのような一流の打法と、日本で普遍的に受け入れられているボクシング論との差に違和感を覚えたのが僕の探求の始りなので、この理屈を思い出すと、ボクシングを始めた頃の気持ちを思い出して懐かしく感じます。
その違和感を大切にできた自分を褒めます。それに一番助けられているので。
そういった違和感などの些細な感情を守ることが、自分を大切にすることであり、自分の身を守ることであると断言します。
言われるがまま戦争や薬害に巻き込まれて命を落とすこともあります。
社会には、主張の論理的な妥当性以上に、他人を支配し自らの承認欲求を満たすことで何かを達成した気になりたい人が多いのだとこの年になると感じるようになりました。
戦争や薬害だけでなく、この手の人種からも自分自信を守る必要があります。
閑話休題。
あなたの攻撃力は相手に反撃を恐れさせてその攻撃力を削ぐ守備として機能します。
そして、きちんと守れるからこそ、あなたは相手をじっくり観察し、致命的なタイミングが狙えます。
そして両者は、互いが互いを強化し合う関係にあります。
すなわち、攻撃と防御は切り離して考えられるものではなく、一つのシステムとして考えるべきものです。
ロマのようなジャブは、頭を遠ざけることでディフェンスへの保険がかけられると同時に、大腰筋を収縮させた肩甲骨平面内での拳の加速により、パンチの勢いを高められます。
駆け引きする
上の動画は、ディフェンスを担保した体勢からジャブを繰り出し、相手の様子を窺いながら隙を突いて飛び込む、という流れが分かると思います。
相手がロマの攻撃に驚いてか、あるいは小突かれてバランスを崩すとすかさず踏み込んきます。
相手がロマの攻撃に慌てて反撃してきた所をカウンターすることもあります。
これが所謂ボクシングの駆け引きやチェスゲームです。
この視点から「駆け引き」を解釈するなら、相手に打たれない姿勢を知っているからこその駆け引きだと言えます。
ボクシングがチェスゲームであることは、どこかで聞いたことがあるはずなので、知識としてならボクサーは基本的には知っていると思います。
ただ、それを心で感じているボクサーや指導者は少ないのではないかと僕は感じます。口ではそう言ってはいるが、実際にやらせているか、やっているのは根性論、というパターン。
すなわち、「心理戦」「駆け引き」という言葉を知っているだけで、その実体が何であるのかを全く知らないか、あるいは説明できる程度に言語化できていない故に、結局は、練習や技術、戦術の体系が根性論になっている、という主張です。
例えば、車ヲタクとカーレサーとでは、同じ事を語っていても完全にその質は異なります。
前者は記号としての知識を集めただけなので現実では役に立ちません。後者は車を操作できます。
ボクシングも同様です。
実際にリスクに飛び込んで自らが痛い目に遭わなければ、あるいは勇気を振り絞り、それに見合うだけの対価を得られた経験が伴わないなら、知識には実体が伴いません。ただの記号です。役に立ちません。
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