部分と全体の記事で、ヒトは幻覚を見ているという長濱説を主張しました。今回はそれに信憑性を持たせる試み。
まずは同一視って幻覚。
多種多様な対象を同一だと幻覚し、それらをひとまとめに「石」という概念を創造したり、他人と自分を同一だと錯覚して共感したり、日本人と呼ばれる幻覚を日本人全員で共有し、力を合わせて大きな事業を成し遂げたり、異なる対象の間に現れる幻覚を量とし、さらに、その量の間に現れる何かを幻覚して数とし…と、幻覚を何層もの入れ子にして概念を創造したり。
始めは意味不明なんだけど、ふとした瞬間に腹落ちしてその実体を心で感じられることってありますよね。
数って、人の空想にしか存在しないものですが、あると言われたらあると感じます。
大昔に、三平方の定理で知られるピタゴラスが見た、三角形の周りに現れた補助線も幻覚の一種なのではないかなと。
所謂頭の良い人は、この幻覚を上手く使っていると思いませんんか。
僕たちが異なる対象を「同じ」だと感じられることや、それを他人と共有できることって奇妙だと感じます。
その辺に落ちている石を二つ持ってきて、「これは同じものだ」と言われたら納得します。でも、異なる対象だと言われたら異なる対象です。
通貨や宗教の幻覚に現実を覆い隠されてしまったり。それは時に現実の痛みを緩和させたりもします。
認識空間にしかない限られた狭い世界を現実の全てだと錯覚したり。学校や会社や日本人って幻覚です。
思うに、自我や意識も幻覚の一種です。そう解釈すると腑に落ちます。
ピタゴラスが三角形の周囲にある四角形を心で感じたのと同じ生理現象だと思います。意識や自我には実体はないのだけど、心は確実にそれを「在る」と感じています。
子供の頃に頭を悩ませた幽霊も同じだと思いませんか。
場に流れる「空気」も。その幻覚に逆らえなくて恥をかいたとか、損をしたとか、皆さんにも経験があると思います。一生を棒に振る人もいます。
空気と呼ばれる幻覚は、まるで人がそこいるかのような錯覚を起こさせますよね。
暗い場所に「お化け」って実体があるように感じた子供の頃の幻覚と似ています。背後に何かがいて、その息遣いを感じるか、あるいは体を触られている感覚すらあるようなことってありませんでしたか。
子供が幻覚であるお化けを怖がる態度は、お金や基礎基本、空気に従う人の態度(癇癪)とそっくりだと思うんです。
幻覚はヒトに普遍的に見られる性質なのではないかなと。
これはヒトの知性の側面がありますが、行き過ぎると病気と診断されます。だから天才は晩年に狂う。
下の二人はとんでもない天才ですが、一方でその言動や異常な執着心は精神障患者と表裏一体だと感じます。
知性と病気のちょうど間を幻覚が行き来していたんじゃないのと。彼らには普通の人が認知しない空間を幻覚により知覚できたわけです。
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