バカの法則 その二

よもやま話

バカ「これは平面だ。それ以外にはあり得ない。」
バカ「これは立体だ。それ以外にはあり得ない。」

思うに、上のような、立体とも平面とも受け取れる画像を、ありのままに受け取れないこと、すなわち
「どちらかでしかない」
と一面的な視点からの結論を言い切ってしまうことが「バカ」です。

バカ「ボクシングとはこうだ。これ以外にはあり得ない。」
バカ「日本人とはこうだ。これ以外にはあり得ない。」
バカ「正しさとはこうだ。これ以外にはあり得ない。」
バカ「男(女)とはこうだ。これ以外にはあり得ない。」
バカ「家族(夫妻友達親子)とはこうだ。これ以外にはあり得ない。」

今の「当たり前」は、人類史的にはついこの間に整備されました。それらは人々の頭の中に空想として存在しているだけで、その実在はありません。そうしないと不便だから、それがあたかも実在しているかのように扱っているだけです。

通貨は、みんなで「在る」と認識し扱うことで取引を円滑化させる便利な道具で、普遍的な価値はありません。現在は最強とされる米ドルがそうなったのは第二次大戦以降です。それ以前はイギリスポンドが、それ以前はオランダギルダーが経済を支配していました。

金や銀、原油、ウランやプルトニウムのような実体はありません。通貨は、僕達がそれに価値があると思うから価値があるだけで、歴史的にはハイパーインフレによる紙くず化を繰り返しています。

現に、日本の円は海外目線では確実にその価値を失っています。通貨最強のドルであっても、他の資産を視点とするならインフレにより数年で数十%価値が棄損されています。

自分で考えることをせず、キョロキョロと周りを見て決めるような人ばかりだと、「もう駄目だ」との共通認識の連鎖反応は急速に起こります。パニックになった時に急速な資本逃避が起き、一気に円は紙くずになります。トイレットペーパー然り、黒船然り、歴史をみれば日本のパニックはお家芸と言えます。

日本は通貨が弱体化したから買われています。海外から旅行者が集まるのも、日経平均株価の最高値更新が起こるのも、他通貨視点で格安だから。

日本にはまだ世界的な競争力があるように見えます。しかし、その源泉となる世代がいなくなればどうなるか。猛烈世代のキチガイじみた働き方がジャパン・アズ・ナンバーワンを導きました。今はその遺産で食いつないでいる金持ちバカ息子と形容できると思われます。

猛烈世代のように、朝から翌朝まで平気で働けるような頑丈な肉体と精神を持つ、エネルギーに満ちた人種はもういなくなったように思います。むしろ、僕は僕の父や祖父の世代と比較して、同世代からは言い訳ばかりの軟弱さを感じます。とても日本の競争力を今度も支えられるとは思えません。そうなると通貨価値は暴落します。まだ先でしょうが、恐らくは娘の世代くらいか。この危機感が思い過ごしであることを祈るのみ。

通貨暴落が当たり前のアルゼンチンやトルコの国民は常に危機感を持っています。その準備をしているからパニックは起こりません。しかし、日本はどうか。僕は、去年のイギリスポンドの暴落から不吉な前兆を感じています。

閑話休題。
通貨の歴史や現状を解説して何が伝えたいかと言えば、それは認識世界の脆弱さです。物理世界より遥かに簡単に崩壊します。

明治維新やフランス革命などは、当時は当たり前の「身分」社会の価値観を崩壊させました。そんな風に、今の当たり前の価値観も簡単に壊れます。そんな脆弱なものにひざまずく信者はさらに脆弱です。

ボクシングジムや学校、社会にあるそれは、「便利なら使う」もので、それ以上の価値はありません。その為に生きるなんてのは論外。道具に操られるのはバカだけだと僕は思います。

道具は利益を生み出す為に使うもの。損失を生むならすぐに捨てるもの。

もしもあなたが、家族や他人へある一つのやり方だけを押し付けてしまうのなら、「こうあるべき」を押し付けてしまうのなら、それは人を脆弱にする行為です。すなわちそれは緩やかな殺人。そうしてしまうのは無知に由来していると考えられます。

「無知の知がない」、すなわちある一面の視点しか持たない人を、僕は「バカ」を定義しています。

自分のバカさが家族や他人を傷つけていたと気がついたのなら、今からでも謝罪する選択肢はあります。自分の間違いを認めないのもバカの防衛機制、法則の一つです。

自分が”何を知らないのか(何を知るべきか)すら”を知らない。

中学生が学校だけを、その中の小さな人間関係だけを、世界の全てだと錯覚してしまうようなこと。そこは、この世界の極々限られた、在るか無いかも定かではない極小の空間でしかありません。

その限られた小さな世界をこの世の全てだと錯覚してしまうのは、認知能力の弱さと経験の乏しさ故です。

学校に限らず、会社や家庭も限られた空間でしかありません。嫌になれば抜け出す権利は保証されています。

子供がそこを嫌がっているのなら、その子がバカになる前に、大人が外の世界へ連れ出してあげるべきです。認知能力の弱さ故に子供は小さな世界を世界そのものと錯覚し、”馬鹿げた”選択を行います。

大人であるなら、その場所が嫌なら、自分の足で逃げられます。その選択肢は常にあります。嫌いな奴らと一緒にいる義務は日本にはありません。

そして認知されるべきことは、あなたが逃げ出そうとする世界は、極々限られた極小の空間でしかないということ。逃げたあなたを歓迎してくれる場所はいくらでもあります。

僕はそうしてきました。石田ジムやボクシングは、僕を歓迎してくれていると感じています。

日本だってそう。地球という惑星にある限られた空間です。嫌なら去ればいいだけの場所で、その外にはいくらでも世界があります。地球外を探したいならそうすればいい。そこにあなたの居るべき世界があるかもしれない。初のコンタクトを果たすのはあなたかもしれない。

中学生程度の一面的な認知能力しか持たない大人≒バカは多い。

彼らは認識空間にしかないマトリックスを世界そのものだと思っている節がありす。幼い頃のように、マトリックスを本物の現実と錯覚しています。

認知能力の弱さが時に子供に悲しい結論を導かせてしまいまうように、大人にも馬鹿げた結論を導かせます。他人や自分への攻撃。

僕の経験を一般化してよいなら、幼い間のヒトの認知能力はかなり未熟、かつ経験に乏しい故に、現実を上手く認識できません。小学生中学生までは特にその傾向が強く現れ、空想と現実、親と自分、友達と自分の区別が上手くできません。
「あなたは私、私はあなた」を平気で行います。議論の論点が定められないので、意味不明な理由からいじめが起こります。

つまり、大人になってもいじめが止められないのは、認知機能(≒知能)に原因があるということです。SNSで騒いでいるのは、自他の区別すらままならない、体の大きな子供達です。

大人は、時にマトリックスに囚われた子供をその外へ連れ出し、彼らの認知能力では捉えきれない現実を見せてあげるべきなんです。しかし、実際は大人がマトリックスを構築している。

子供に「”バカバカしい”ことで悩んでいた」と気が付かせてあげるのが、子供に対する大人の役目です。
大人の「こうあるべき」を子供へ教えるなんてのは論外。そうするのはバカです。

しかし、僕の経験的統計では、家庭や学校の大人こそが、「こうあるべき」を押し付け、子供の認知能力を制限し、彼らの可能性を奪い、時に悲劇を導いています。

老け顔の体の大きな中学生(バカ)が、大人ヅラしていることが悲劇を導いていると言えます。

ある目的へのアプローチには、様々な選択肢があることを知ることは、合理的な解の選択を難しくします。すなわち、無知の知を持つ真の大人程、「こうあるべき」との断言が難しくなるのです。

ソクラテスは大衆へ、すなわち僕達へ僕達の無知を突きつけました。

ソクラテス「ほう、科学は正しいのですか。では、あなたはそれを証明できますか。科学は数で既述されることが多いですが、数とは何のことですか?足し算とは?引き算とは?1+1=2の証明をあなたはできますか。できない?では何故、あなたは科学を信じているのですか?」

大衆「グヌヌ。気に食わない!死刑!」

バカにそうだと認知させることを賢者ソクラテスはやりました。そして、バカの防衛機制により殺されました。

これと同じ構図は、古今東西にあふれています。ユダヤ教というマトリックスを破壊し、「信仰(悪を遠ざけ正直になること)により誰もが幸せになれる世界」を説いたイエスの公開処刑。幕府というマトリックスを破壊しようとした坂本龍馬の暗殺。枚挙に暇がありません。
現代のSNSやYouTubeなんかは、バカな大衆が賢者を殺す典型の縮図と化している節があります。

賢人ソクラテス「知らないことまで、知っていると思い込んでいる」ような人々よりは、「知らないことは、知らないと自覚している」分だけ、自分は彼らより賢い。」

賢人セネカ「床屋が男でごった返している。そうやってガラクタに目が眩んでいる間に人生は終わるのに。」

ダニング=クルーガー効果(ダニング=クルーガーこうか、Dunning–Kruger effect)は、ある領域において能力が低い者は自分の能力を過大評価する傾向があるという認知バイアスの仮説である。

ウィキペディア

自らの無知を自覚することこそが、真の認識に至る道であるということ[1]。自らは様々な先入観や思い込みにとらわれているということを知ったり自覚するということ[2]。

ウィキペディア

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この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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