「自己喪失」は、自分が何者であるのかを見失い、安い安心と安い快楽の為に他人や観念に迎合する性質が顕在化することです。
厳しく言うなら
「普通」「科学」「お金」「基礎基本」
などを信仰するカルトの総称。
普通とは何か、科学とは何か、お金とは何か、基礎基本とは何か、という疑問を放置し、それらの見えない糸で操られる人達です。
彼らは他人や社会から与えられた正しさを疑いません。
善悪の判断ですらも他人へ委ね、場合によっては殺しも肯定します。
バカの親分に同調したバカの子分が、集団で強姦強盗殺人をするような事件がその典型。バカは人の生死に関わるような善悪の判断ですら、場の空気に委ねます。
はっきり言ってしまえば、科学やお金などを無条件に信頼している人たちは、上記と全く同じ人種です。単に親分の違い、場の空気の違いでしかありません。
同じような状況に遭遇したら、きっと場の空気を読んで、そして親分を恐れて、殺しをやるだろうと簡単に想像できます。
自己喪失の性質が、ホモ・サピエンスに保存されている理由はなんだろうか。
古今東西の歴史において、物語を信仰しその物語の為に殺し合う性質は普遍的に見られます。
自己喪失体は、覇権闘争の駒として必要なのだ、と結論しました。
略奪の為には、認知能力が弱いかリスク回避傾向の強い、善悪の価値観を持たない個体が大量に必要なのです。
「殺して奪ってこい」という命令に疑問を持たれたら戦争はできません。
誰かに命令されて何かを行うことは、責任という重圧から解放されるので、精神的には楽ではあります。しかし、そこに個人の意思はありません。自由を奪われた奴隷の苦しみが、同時にそこにはあります。
自己喪失体は他人や観念からの命令に従うことに苦しみを覚えてはいますが、リスクを嫌う性質か認知能力の弱さ、またはその両方が故に、その苦しみの根本的な原因の発見ができません。
ところで、「空気を読む」ことを強要する文化はリスクを取りたくない性質の発露です。
自分がリスクを取り相手に命令するのではなく、相手に自分の要求を推測させることでリスク(責任)を回避しています。
ヤクザ「分かるよな?」
これと「空気を読む」は同じ論法ですよね。
ヤクザはこの後で多分、良心が痛み苦しみます。が、バカなのでその理由を認知できません。
勝手にやった(相手が空気を読んだ)のだから、という責任逃れが文化として根付く程度には、幼児性と日本人は強い関係があるのだと予想します。
過去の歴史や今の社会を見るとそう感じます。
誰か自分以外の人が責任をとって号令してくれないと変化できない。自ら率先してリスク(責任)は取りたくない。
不安遺伝子を持つ人の割合が他の地域より高いことが、遺伝的に子供っぽさを導いているのだと最近は結論しています。
閑話休題。
自己喪失体は命令される苦痛に堪えながらも、与えられた仕事は上手くこなせます。
また、その苦しみから解放されたい、との望みの元にその答えを常に探してはいます。
答えは単純ですが、認知能力の弱さか、またはリスク回避の性質故にその認識が起きません。
収穫高や信用サイクルが膨張している間は、物質的な豊かさで彼らは自らの気持ちと折り合いをつけて我慢できます。
しかし、原始時代なら収穫サイクル、現代なら信用サイクルの収縮が始まると、彼らの物質的な豊かさは失われます。
物質的な豊かさで精神的な貧しさを紛らわせていた彼らは、サイクルの下降局面で凶暴化し暴徒化します。
そして、これすらも戦争の為に遺伝子に刻まれたプログラムなのでしょうが、景気後退局面では責任転嫁が上手なだけの詭弁家=ポピュリストが現れ、暴徒化した自己喪失体をコントロールします。
詭弁家の責任転嫁の常套論法は、差別の対象とそれが許される理由を力付くで創造することです。
ユダヤ人という差別の対象を創造し、彼らに全ての責任をなすりつけて殺戮したように。
「あなたが貧乏なのは、あなたのせいではありません。〇〇が悪いのです。」
〇〇には財政や政治家の名前、移民が入ります。
バカな親がバカな子を慰めるように言ってやるだけで、彼らはコロリと騙され他の群れ(国や民族)との戦争における兵隊の役割を果たしてくれます。
まとめると。
自己喪失は、景気や収穫のサイクルの上昇局面では、指導者の命令で文化や技術を発展させる労働者の役割を果たす。
下降局面になれば、他の群れからの略奪を実行し群れを生存させる為の兵隊として機能する。
自己喪失体は、有事で即座に兵隊として起動できるように遺伝子レベルで常にイライラし他人に嫉妬している。他人への関心が強い。
この仕組みを神から与えられたから、他の優しい人類を皆殺しにしてホモ・サピエンスは生き残れた。
最小の前提で構成された、超合理的な設計だと思います。
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