日経225大暴落しましたね。つられて何もかも急落。
後に振り返った時に、これまでの章とこれからの章の区切りとなる、歴史的に重要な日が昨日だったじゃないかと興奮しています。ボクシング業界もこの影響を受けると予想します。
歴史の目撃者って興奮しますよね。
僕は歴史と経済には強い関心を持っています。それらを学ぶことは僕に経済的利益を運び、僕の生活からストレスを取り除いてくれると感じているからです。
その関心は次第に、群衆の力学を規定する個人の心理へと移り始めています。
人の心理を学ぶことは、利益を運んでくれると同時に、SNSを始めてから遭遇するようになった、「他人の人生に異様な関心を向ける人」の存在を理解することも助けてくれます。
ネットの罵詈雑言を躱し、利益を取りに行くという二つの点で人の心理を学ぶことは有用です。
ちなみに、論理学と数学もその点に関しては強力な道具であると感じています。自分と他人の論理の誤謬へ注意を向ける習慣は、利益を引き寄せ、また同時に損失を回避してくれます。
閑話休題。
今回は境界性人格障害≒自己喪失の話。
幼児期の親子の統合
幼児は親と自分の境界線をほとんど認識しません。それは恐らくは、親が常に自分の感情に同調し、不快を取り除いてくれるからです。
幼児が不快に感じる→親が対処する
という因果関係が幼児期には常に成立する為、無自覚にそれを学習してしまうのだと思います。
しかし、成長に伴う親以外の人との関わりの増加と、知能の発達は、より厳密に因果関係を認識させます。
親以外の他人は、泣いて喚いてもコントロールすることができません。
自分の感情は言葉にして伝えなければ他人には伝わりません。またそうしたからといって他人が自分の思い通りには動いてくれる必然性はありません。
これを繰り返す内に、子の心は親や世界から分離され、「我は我、彼は彼」という自己同一性が形成されます。
後述しますが、幼児期のみに成立する親子関係をいつまでも解消せずにいることが、同調圧力を生み出しています。
親子の分離
既述の幼児期の親子関係の解消こそが、自己同一性の獲得、つまり、大人になることであると僕は大雑把に定義しています。
僕の定義する大人は、20歳を迎えたとか、仕事をしているとか、子供がいるとか、親と離れて暮らしている、などではありません。
これらは、個人が精神的に自立した場合の結果として、あくまでも自然発生的に起こることであり、それができることが大人になることではないと考えているからです。
それが起こった理由ではなく、結果として起こっていることに目を向けて「大人」を定義してしまったことが、日本社会に依存心に由来した多くの社会問題を引き起こしているように見えてなりません。
子供の時に感じていた親への恐怖を大人になっても尚感じている、などは大人になりきれていないことを示す典型症状だと思います。
実家だと萎縮してしまい居心地が悪いとか、親と二人きりで面と向かって食事や話ができない、本音が言えないとか。
逆に、他の大人となら嫌だと感じる程度の親密さが、親とだけは保たれているだとか。
親を異様に嫌っていたり、または親に萎縮していたり、逆に異様な親密さだったりと、幼児期の関係性が維持され、大人と大人の関係へ移行できていないのではないか、と感じる親子関係を見ることが頻繁にあります。
親子関係≒依存関係
成長の過程で幼児期の親子関係が解消されない場合、親以外にその関係を求めます。
例えば良い大学という肩書やお金という観念に、親子関係を求めてしまうようなこと。
肩書が親となっている場合、子供が親を自慢するようにそうしますし、それが奪われそうになると、迷子になった子供のように発狂します。
お金なんかは特に分かりやすいと思います。
お金への過剰な執着が夫婦関係や友人関係を壊していくのを実際に目撃か体験した方も多いはず。
無自覚に概念などを親子関係と認識している場合は、子供が迷子になるのを恐れるようなやり方で、それらが失われることを過剰に恐れます。
同調圧力がこれです。
独善的な正義や基礎基本などを親と錯覚し、それが失われることを極端に恐れ、それに従わない者を徹底的に攻撃します。
言い換えると、無自覚に自分以外の何かを頼っていると言えます。
同調圧力は巨大な群れを統率する為のネオテニーなのではないかと考えています。
成長過程で親子の分離が起こせなかった層は、親元を離れると別の親を探す必要があります。
貨幣経済などの社会通念を無自覚に親と錯覚する分厚い層が存在しているから、それらは運用できます。
カルト宗教なんかもそう。親との分離を起こせずに、社会的に宙に浮いてしまった層の心を繋ぎ止めます。
それ(親)を否定されると幼児がそうするように攻撃的になります。
個体を子供のままに留めておくネオテニーが人類の群れを統率するシステムの根幹で、だからこそ、自己喪失した個体ほど幼児のように振る舞うのではないか、という結論。
境界線人格障害と幼少期の親子関係は相関しているように見える。
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