言ってはいけない その二

よもやま話

Xで勧めてもらった橘玲さんの「言ってはいけない」シリーズが衝撃的で、その引用元となる遺伝行動学などの関連書籍を読んで驚愕しました。

知能や性格は遺伝的に規定されており親の教育の影響は薄いという統計的事実。基本的に人は友達との関係から社会を学ぶそうです。加えて成人し親元を離れると、教育の影響は剥落し遺伝的な形質が顕著に現れてくると言うのです。

これには思い当たる節があります。僕たちの兄弟は偶然にも全員がスポーツの道を進んでいます。妹は競技としてではなく学問としてですが。僕以外はアメリカでの生活を経験し、好奇心が強く、読書が好き。親の教育の影響かと思っていました。が、元々は異なる性格でした。行動遺伝学の言うように日を追うごとに兄弟の性質は一致していくように見えます。

知能や性格はほぼ遺伝で、統計的には高校生位からは教育や家庭環境の影響が剥落し遺伝的な素質が剥き出しとなるようなのです。

さらに驚かされたのは「文字が読めない人がかなりの数いる」という統計的事実。こっちが本題です。

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機能的非識字

ネットで耳にしたことのある方も多いと思います。

機能的非識字(きのうてきひしきじ、英: functional illiteracy)とは、日常生活において、読み書き計算を機能的に満足に使いこなせない、文字自体を読むことは出来ても、文章の意味や内容が理解出来ない状態を指す[1]。

ウィキペディア

驚かされるのと同時に最近僕が感じていた疑問への回答と符合していることにも気が付きました。

「文脈が読めない」とはA→B→Cという要素同士の関係が見えないということ。抽象的な論理構造が理解できないということです。

筋トレしない→パンチがない
科学的ではない→間違えている

という風な短絡的な論理展開が普通に受け入れられていることに強い疑問を感じていました。

僕のブログの読者なら理解してもらえると思いますが、「パンチ力」に関与しているのは単一の筋肉だけではありません。
ましてや「筋トレ」などという具体性のない”抽象的な概念”で片付けるなんてのは論外。

目の前にいれば論拠を問いただしてきちんと空想の世界から引きずりだしてあげるレベル。ネットであれば話すに値しません。子供の会話程度にはふわふわしいる。文脈が読めない、つまり論点が識別できず、概念が架空の存在であることを認識できないのだと仮定するなら納得できます。

現象は様々な要素の複雑な絡み合いで起こります。それを記号化し見えるようにするのが文字だとするなら、文脈が読めないとは論理的な認識ができない、つまり現象を理解できないと言い換えられると思います。

ジャブ一つとっても複数の筋肉の協調が要求されます。加えて身体重心や運動連鎖などの力学的技術的な要素も関係してきます。さらに言えば、その技術とその習得方法を生み出す思想や世界観価値観という体系も要求されます。他にも練習に費やす時間と体力、精神の配分など、競技力を向上を達成する上で絡み合う要素は多岐にわたり、短絡的に結論することはできません。

また、利点の裏には欠点があります。無駄なことへの資本の投下はもとより、怪我なんてのは論外です。
僕が懸念しているのは、短絡的な結論が失わせる能力や体力時間精神といった資本です。

しかし、「筋トレ→パンチアップ」などと短絡的な主張をする人達にはどうやらそれが分からないようなのです。

なぜ彼らにはそれが理解できないのだろうか?と僕は常々疑問に感じていました。
つい最近は危機感が足りていないのではないか?と結論していました。
普通は成人する間にこの手の推論能力は身につくはずだ思っていたからです。ぬるま湯に浸かった子供のままだから分からぬのだろうと。
しかし行動遺伝学の見地からは、どうやらそうではないようなのです。

僕の経験とも符合します。

機能的文盲と論理性

「機能的文盲=論理性の先天的欠如」と捉えるなら、つまりは物事の因果関係を追いかける論理的推論能力を神から与えられていないのだと仮定するなら、僕の経験や社会現象などに納得のいく解釈が与えられます。

「文脈を読む」や「論理的推論」の意味自体が分からない、ぶ厚い層があるのではと疑っています。当然、義務教育過程を経れば記号としては読むことはできます。しかし、その意味は理解できていないのではと。義務教育の負の側面です。文章を読めない人を読めると錯覚させること。

小学生から今までの過程を振り返ると心当たりがいくつもあります。書棚には本が並べられているが、読んだ形跡がない。内容が噛み合わない、という経験。皆さんはどうでしょうか。または、「投資で勝つ」というタイトルだが、エッセイや詩集のようなフワッとした内容しか書かれていない本しか並んでいない書棚。

序列確認と共感の為の会話

文脈を読めないことが、会話を序列の確認と共感に特化させるのではないかと推理しています。

常にそうだってことはないと願いますが。
ただ、共感及び序列確認が主となる人種と問題解決が主となる人種に分かれているのだろうと予想しています。

前者の機能的文盲が、基礎基本や科学といったカルトの源泉だろうと。

恐ろしい結論ではありますが、文脈を読む能力のない人種がいるのだと考えるなら符合する点が多いと思います。常識がカルト化する程度の量が確保できるのだと仮定するなら、大量にいます。ホロコーストや世界大戦が起こるのも納得できてしまいます。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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