Xで勧められたので読んでみました。
知識社会のタブーについて触れられています。
知能や性格、犯罪などの遺伝に関しては社会ではタブー視されていますよね。
しかし、姿が親に似るように、他の形質も遺伝するのだとすれば、これを無視してしまっては人類は幸せになれません。
犯罪遺伝子があるのなら、それを抑える薬や環境を用意する必要があります。知能が高い子が生まれつきそうなのだとしたら、その子達は他の子とは差をつけてあげないと人類全体の損失となります。
知能が高すぎると集団内で浮きます。友達も作りにくい。それがイジメの原因にもなります。特に子供の間はどうして自分には友達ができないのかを理解できません。
大人なら「自分の生きる世界はここではない」と別の世界を目指すことができます。しかし子供はその狭い世界だけがこの世の全てだと錯覚してしまいます。
学校を変えればよいだけなのを重く捉えて自殺したり不登校になったりします。僕の周りでも先天的な理由などで学校に馴染めず学校以外で学ぶ子供は増えてきていると感じています。
集団生活に向いていないだけの天才は多いだろうと思います。自他の線引きが曖昧な子供の社会は同調圧力が強い。抜きん出た子ほど馴染めない。異物とみなされて排除される。
大人であれば「じゃあ、さよなら」で済む話ですが、子供にはその決断が難しい場合があります。彼らの代わりに大人が違いを認めてあげて、彼ら天才が生き生きと能力を発揮できる世界へ導いてあげるべきだと感じます。
最近の保育園でのボランティア活動においても、子供達の間に生まれる自然かつ微妙な差は感じられました。
「言ってはいけない」は僕の中に近頃生じ始めていた疑問の解答として符合する部分が多分にありました。断言は避けますが、生まれた時から生き方の雛形(社会での役割)のようなものが決まっている確率は低くないのかもしれません。
興味が湧いたので遺伝行動学の先生の著書も読んでみました。
基本的には遺伝的に知能や性格、身体能力が規定されているという立場がとられています。
僕が審美眼と呼んでいる、人それぞれには自分にとっての価値を見抜く目があるのではないか、という希望も語られいます。ただ、それは著者の希望に過ぎず科学的な根拠はありません。
大半の個人は社会の部品としての役割だけを神から与えられているのだと解釈するなら残酷な話です。
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