子供に対する大人の責任

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僕が最近、社会について感じることをつらつらと述べます。

社会との関わり方について考えるようになったのは娘が生まれてからです。
考えようとはしていないのに不思議と考えてしまいます。僕が感じる社会の問題について「こうしたら良いんじゃないか」と勝手に思い浮かびます。

娘が生まれるまでは社会、というか他人には興味がありませんでした。「他人は知らん。俺の邪魔をしないならそれでいいよ。面倒くさい。」という態度。
娘は僕が死んだ後も生き来ていく必要があります。だから僕がいなくても生きていけるような心と社会にしてあげることが父親としての役割だと感じるんです。そして娘の同世代を除いて娘だけが幸せになれるとは少しも感じられません。社会全体を良くする必要があります。独力では到底できることではありませんが、少なくとも眼の前で起こることには娘の未来の為に対処しなければならないと感じるのです。

20代は正義感なんてものはなく、自分さえ楽しければ良いと考えていたし、その為に自分の考えを他人に押し付けたこともあります。眼の前で苦しんでいる人がいてもどうでも良かった。

でも娘が生まれてから見過ごせなくなりました。
父親になる以前なら、自分の為にならない沖縄県のアマジュニアの試合に選手を参加させ、その監督をやるなんて考えられなかった。
子供達に怒号を飛ばす保護者に突っかかることもなかった。

でも今は、こんな社会では娘が伸び伸びと育てないと感じ居ても立っても居られないのです。
自分でもこの感情は不思議だと感じます。

論理的な帰結ではなく、ただそうしなければならないのだと感じるからです。

娘との面会の為に半年ほど家庭裁判所を行ったり来たりした経験が僕の娘への執着を育ててくれたのかもしれないと感じています。
金と時間って埋没費用を取り返そうとしているのかもしれません。

とりあえず、何故かは分からないけど娘の為に大人として社会と関わらなければならないと感じ、僕が娘の世代へ残したくないと感じるものは、責任をもって取り除かなければならないと感じます。

日本には沢山良いものがあります。
しかし、客観的な意見を押し付けて個人の主観的な感情を殺す同調圧力は娘の世代には残したくないと感じます。
少なくとも社会の一人一人がそれを認識し対処する術を身に着ける必要を感じます。

大人として、負債だと感じるものは次世代に残すべきではありません。先に死ぬんだからって無責任はダサいです。
そうやってカッコつけてくれたおっさんとおばさんがいたから、今の僕達の生活は成り立っています。

僕と同世代、または僕より上の世代の読者の皆様には最低限、眼の前で起こることに対しては対処していくことをお願いしたい。
別に一々と喧嘩する必要はありません。同調圧力に屈しそうな子供に、「そんな必要はない」と言ってあげるだけでもその後の未来は違うと思います。
子供に「あのおっさんかっこいいな」って言われる人を目指しましょうよ。
カッコつけられなくなったらおっさんは終わりです。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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