気がついたら数学的帰納法について考えていました。どうしてそこに行き着いたのかは覚えていません。
順序関係から人の認識について思いを巡らせて「原因→結果の認識の規則の延長が順序で…」となったのは覚えてます。
つまり、例えば自転車を認識する時。
無自覚ですが、タイヤ→ハンドル→サドルという連鎖反応から「自転車である」という風になっています。
部品の配置=順序だよあって。
ここまでは覚えていますが、なぜここから数学的帰納法について考え始めたのかは思い出せません。
数学的帰納法の雰囲気
P⇒Q
Q⇒R
Pが真だと過程するならQも真になる。Qが真ならRが真になる。この構造なら連鎖的に次々と証明がされるような気がするので、無限回の証明を飛ばしても良い気がしてきます。
実際にそう定義されてます。
無限回の証明を省けるのは、そうと決めたから。
自然数定義から数学的帰納法の雰囲気を感じる
自然数定義の抜粋
Wikipedia
任意の自然数 a にはその後者 (successor) の自然数 suc(a) が存在する(suc(a) は a + 1 の “意味”)。
数学的帰納法っぽくなってます。
aが存在するなら、その後者も存在する、aの後者の存在は、aの後者の後者の存在も保証する。という連鎖反応が起こる構造。
1→2→3→…
この場合は1の存在を認めると連鎖的に3まで自動的に真となり、この連鎖反応は無限に続くような気がします。これ数学的帰納法です。自然数は無限に存在することが定義上は認められます。
自然数定義
Wikipedia
自然数 1 が存在する。
任意の自然数 a にはその後者 (successor) の自然数 suc(a) が存在する(suc(a) は a + 1 の “意味”)。
異なる自然数は異なる後者を持つ。つまり a ≠ b のとき suc(a) ≠ suc(b) となる。(ある種の単射性)
1 はいかなる自然数の後者でもない(1 より前の自然数は存在しない)。
1 がある性質を満たし、a がある性質を満たせばその後者 suc(a) もその性質を満たすとき、すべての自然数はその性質を満たす。
自然数の定義が、ある数aにその後者を保証させる再帰的な構造になっているのは、数学的帰納法を成立させる為だと思います。
数学的帰納法を自然数で成立させたいのは、自然数を使った論理の構築において、無限回の証明を省きたいから。
数学的帰納法が無限の証明を省けるのは、そうだと決めたから。という感じかと。
数学的帰納法を認めると「偶数は無限に存在する」が証明可能となります。
自然数の偶数が無限に存在すること
数学的帰納法が成り立つことを証明する必要があります。
1.2が偶数であること
2.あるxが偶数ならその次の次も偶数であること
これが証明できれば2から連鎖的に証明が続きます。
以下、偶数の我流定義です。
除法の我流定義が思い浮かばなかったので乗法で定義してみました。
自然数の乗法の定義は加法を用いる形になっています。
すべての自然数 a に対して a × 0 = 0
Wikipedia
すべての自然数 a, b に対して a × suc(b) = (a × b) + a
偶数
2xが偶数ですが、それは
A={∃x∀y∈ℕ∣x=2y}
任意のyの2倍を満たすようなxの集合。
これが2xの文脈なのかなと。
ちょっと脱線して4が偶数である証明。
1.4(前提)
2.4=2×2(同値変形)
3.∃x∈ℕ(x=2×2)(∃導入)
4.∀y∃x(x=2y)(∀導入)
前提から我流定義の偶数の形に変形できました。
とりあえず長濱説的には4は偶数です。
次は偶数が無限にある証明。
数学的帰納法を使います。
最初の証明で次の証明が連鎖的に行われる再帰的な構造で証明の枠組みを作る必要があります。
「偶数の次の次の数は偶数、最初の数が偶数ならこの論法で無限の偶数を作り出せる」って。
疲れたので今日はこの辺にしときます。
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