「縁起」とフローと思考のパラダイムシフト

よもやま話

Youtubeで偶然発見した動画ですが、僕のフロー体験、思考のパラダイムシフトの話とそっくりでした。

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フローは思考の転換

フローは「意識→無意識」から「無意識→意識」への思考の大転換。
意識ではなく無意識が人の本質であるという解釈から生まれる世界観です。

フロー

ロゴス→ピュシス→ロゴス
アナログ→デジタル→アナログ
全体→細部→全体

子供の頃は全体(真理)を全体(真理)として、つまりアナログとして”感じる”ことができす。
ただ、大人になる過程で植え付けられた知識や世界観によって一旦、世界がデジタルに分解されます。僕の経験的統計によれば、そのまま終わってしまう人とそこから再びアナログへ回帰できる人に分かれます。大人になってアナログへ回帰できないことが不幸の始まり。

例えば子供の頃は「木」を「木」として”感じる”ことができましたが、大人になると「葉」「枝」「幹」「根」と言う風に分解して、分析的に”見る”ことしかできなくなってしまいます。おびただしい数の固定観念により雁字搦めに囚えられ、世界を世界として感じられなくなった結果、人は真理を見失ってしまいます。
「観念に雁字搦めにされた世界」がウォシャウスキー兄弟の言うマトリックス。

ボクシングを「ボクシング」として細かく技術を分類し分析しているのは大人だけです。子供にとってはただの遊び。「フック」も「ストレート」も「ディフェンス」もありません。楽しければそれでいい。
大人は「成果」にばかりこだわり、ボクシングを細かく分割して分析的に捉えようとします。しかし、それがボクシングを見えなくしてしまっています。
あるがまま、感じるがままを表現するという子供の頃には掴んでいた真理を手放しているんです。

下の動画ではそれを分かりやすく話しています。

縁起

縁(ネットワーク全体)として起こる(発生)ことを仏教哲学では「縁起」と呼びます。恐らくは上の話を説明するもので、輪廻転生は原始的な意味では小児への回帰、思考の転換を意味していたのではないかと僕は感じています。

人、原子、分子、世界、宇宙は相互作用の結果として、自然発生的にそして一時的に発生しているだけです。在るように見えるだけ。
仏教は、「世界は一見すると存在しているが、それに実体はない」ということを示し、それを掴まえようとすることの不毛さを説いているのでしょう。経済、人間関係、肩書に分解して人生を分析しようとするのではなく、また実体のないそれらに人生の答えを求めるのではなく、人生全体を全体として感じるってことに幸せがあるのだと説いているのです。

ボクシングも同じで単体では存在しません。
ネットワーク上の相互作用の結果としてボクシングは存在します。
一言で言えば、自分で自分を定義しようとするのが大人の思考。環境に自分を定義させる(縁起)のが子供の思考。
子供の思考で競技力は向上します。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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