素朴集合論とラッセルのパラドックス

股関節おじさんの勉強部屋
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数学を学んでいる時間が今は一番楽しくて、息抜きとして心が疲れた時にだけやっていいって決めてはいるのですが、一度始めると5時間とかはあっという間で。
学生の頃に目覚めてくれればね。よかったのに。

ボクシングを考えるのが疎かになっています。
頭の片隅には「早く作業に戻らなきゃ」って気持ちはあるんですけどね…
Youtubeが手抜き且つブログの更新が遅い理由です。

閑話休題。
整数を定義しようと思ってWikipediaを潜ってたんですが、その過程で集合についての理解が曖昧過ぎて着いていけないってことが起こったので、もう少し集合について理解を深めてみようと思います。

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素朴集合論とパラドックス

そもそもの話

何故、「集合」という概念が必要なのか、ですが。
それは議論の手順を一般化して様々なものに応用するためです。
例えば、全く違うように見えるものでも抽象的に見ると実際は同じものだったり、実体が見えないほど大きく全体を見てしまうと理解を超えてしまうような現象であっても、分割し分類することで、既知の概念として理解できることがあります。
また無限に存在している個別の現象を抽象化し、集合としてひとまとめにすることができれば、個々の現象を調べる労力を省くことができます。

「犬」「猫」「人」という集合を定義すると、それらを内包する「動物」という階層構造が浮かび上がってきます。
さらに「動物」「非動物」という概念で世界を分割すれば、その見通しはもっと良くなります。

動物の例と同じように「集合」「写像」といった概念を定義し扱いやすくすることは議論を迅速化、簡略化することに繋がっています。
それ自体は難しい概念なのですが、それを理解できれば世界の見渡しが良くなります。
数学は難しいのですが、数学の概念によって整理された世界は見通しがよく、とても理解しやすいってことですね。

集合の定義

集合はWikipediaの以下の文章からも分かる通り数学の基本的な概念です。
それは数学の言語であり思想です。

僕はとてもせっかちなので「何となくでいけるっしょ!」と思っていだんですけどね、Wikipediaのリンクを辿った先で行き着くのは集合なんです。集合という概念が数学の根底に流れる思想であることが分かってきて、これを理解していないと逆に遠回りだと感じました。

紆余曲折の課程で大切なものに気が付くことができたってことですね。近道に期待せず、紆余曲折することは僕にとって超重要なんです。

集合(しゅうごう、setensembleMenge)とは数学における概念の1つで、大雑把に言えばいくつかの「もの」からなる「集まり」である。集合を構成する個々の「もの」のことを (げん、element要素) という。
集合は、集合論のみならず現代数学全体における最も基本的な概念の一つであり、現代数学のほとんどが集合と写像の言葉で書かれていると言ってよい。

Wikipedia

元々は「素朴集合論」といって自然言語による曖昧さを許す定義になっていたようなのですが、数学が発展し議論が複雑化するごとに厳密な定義が要請されるようになり、現在は「公理的集合論」という形で集合が定義されているようです。

素朴集合論(そぼくしゅうごうろん、: Naive set theory)は、数学の基礎論で用いられる集合論の一つである[3]形式論理を用いて定義される公理的集合論とは異なり、素朴集合論は非形式的に自然言語で定義される。離散数学で馴染み深い数学的集合の側面(たとえば、 ベン図ブール代数に関する記号の取り扱い)を説明するものであり、現代の数学における集合論の概念を日常的に扱うのに十分なものである[4]

Wikipedia

素朴集合論はその曖昧さ故に致命的なパラドックス(矛盾)を招いてしまいました。

集合をただの「集まり」とした場合に起こるパラドックスとして有名なものにラッセルのパラドックスがあります。

ラッセルのパラドックス

このパラドックスは要約すると「自分自身を含む集合を考えることはできるか?」です。
ネット上で頻繫に見られる例で床屋のパラドックスがあります。

例1)
「自分で髭を剃る人の髭は剃らない」
「自分で髭を剃らない人の髭は剃る」
と豪語する床屋さんがいます。

このめんどくせぇ床屋さんが自分で髭を剃るためにカミソリを握った場面を考えてみると。
「自分で髭を剃る人の髭は剃らない」 ので床屋さんのカミソリは止まりますね。
しかし「自分で髭を剃らない人の髭を剃る」と公言しているので髭を剃らなければならないんです。
もしこの床屋さんが存在したなら、オーバフローしてこの世界を破壊することでしょう。

上の床屋さんの例を集合の例に翻訳して考えてみます。

例2)
「自分自身を含まないものを全て含む集合A」を定義します。
この集合AにA自身は含まれるでしょうか。
含まれるのなら、定義と矛盾します。
逆に含まれないのなら、Aの中に入れなきゃなりません。
あれ、でもそうすると定義と矛盾するから…

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再帰的って言うんですかね。
無限の入れ子みたいになってしまって、入れたら出して、出したら入れてになってしまうんです。

このようなパラドックスが指摘された結果「何をもって『集合』とするのか?を定義しよう」となったわけです。
このパラドックスを解消するためにより厳密な「公理的集合論(ZF公理系)」が誕生しました。

集合論の導引はこんなもんにしときます。
今までの僕であれば、大慌てで公理的集合論へとっかかるわけなんですが、今までの反省を踏まえると、ここは素朴集合論からやった方がよさそう。
何故ZF公理系が必要になったのか、何故ZF公理系はその形をしているのか、それが重要なはずだからです。

ゴットロープ・フレーゲ

革命的な『概念記法』(Begriffsschrift) は1879年に出版され、アリストテレス以来2,000年変わらずに続いていた伝統論理学を一掃して論理学の新時代を切り開いた。

集合論の最初の発展は素朴集合論であった。19世紀の終わりに、無限集合の研究の一環としてゲオルク・カントールによって構築され[5]、ゴットロープ・フレーゲが自身の著書 Grundgesetze der Arithmetik で発展させた。

数学の天才ってホントに異常者ですよ。2000年の歴史を疑ってひっくり返したのですから。
でも、異常者の功績が人類の文明を推進してきたことは僕達凡人は頭に留めておく必要がありますね。
変人の言うことだとバカにしていたら、おかしいのは自分だったなんてことになりかねません。
恥ずかしいです。

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