「真(まくとぅ)そーけー なんくるないさ」
僕の好きな言葉です。
沖縄では誤用されている気がしますね。
「仕方ないね、何とかなるよ」みたいな悪い出来事の後に励ますように使われることが多いと思います。
沖縄人の気質とか言葉の柔らかい響きで誤解されているのかもしれません。
「神」は人類が生み出した文明を推進する叡知
為すべきを為せ
正しい意味は「真のことを行えば、心配しなくてもなるようになるさ」です。
「人事を尽くして天命を待つ」を沖縄っぽく言った感じですね。
僕がボクシングをしながら築き上げてきた人生の美学に近いものがあります。
僕の場合は「やることやったら、あとの運命は神様が決めるから無用な心配はすんな!」です。
神様は僕が運命の日までに行ってきた行動を見て、それにふさわしい僕の運命を用意してくれます。
だから、力を尽くしてやることやったらあとは神様に任せて気楽に構えてればいいんです。
仮に僕の希望が通らなかったとしても大丈夫。
神様が僕の行いを見て「君はこっちに進んだ方がいい」って伝えてくれたってだけですから。
徹底的に努力さできれば、成功や失敗はありません。
どんな道であれ、進んだ先に神様は最高の運命を用意してくれています。
この考え方は自分自身の重圧から自分自身を解放するためのもので、宗教の根底にある考え方だとも思っています。
神を創る⇔心の解放
西洋にもこの思想は存在していて、
“God helps those who help themselves.”
「天は自ら助くる者を助く」と訳せます。
古今東西、人は同じような発想に行き着くんだなーと思うと感慨深いものがありますね。
恐らく、「神」は人の知恵なんです。人の心を未来に起こる予測不能な様々な出来事から切り離してくれます。それこそが人類の叡智が神へ与えた役割だと僕は思っています。
神は人の心を解放するために存在し、逆に人を縛ろうとするなら、どう名乗ろうともそれは悪魔になります。
神が死んだ社会
神がいない社会、信仰のない社会は自己責任論が蔓延した、意地悪で生きづらい社会でしょうし、結局は自己責任論に蝕まれて滅びるはずです。
失敗は成功の源ですから「どんなに努力しても結果に繋がらないこともあるよね」って失敗に寛容な社会は失敗と成功を多く積み重ねて発展してくはずです。
「神」という概念は個人を不要な責任から解放し、また失敗を許容する社会を作るために人類が作り出したMEMEです。
世界中の社会に信仰が残されていることが信仰のある社会の強さを示す証拠です。そして、それは同時に信仰のない社会の脆弱さを表しています。
戦勝国は信仰と伝統を真っ先にぶっ壊すんです。
日本は自己責任論が蔓延っている、脆弱な社会であるように思います。
娘にはもっと優しい社会で生きてほしいと思う程度には。
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