今回は僕が独学してハマった数学の僕なりの面白さ、数学が本質的に何をしているのか?という僕なりの解釈をお話します。
そのとっかかりとして「演算」という概念の話をします。
演算の定義
数学のやりたいこと
数学は真理を解き明かす学問で、そのための議論の雛形がまとめられています。
数学を学ぶ過程で「論理的な議論とはなんぞや」を知ることに価値があると僕は感じます。
数学の議論の出発点は様々ですし、議論が派生している上に色々な記号で厳密に説明しようとするので、複雑なことを行っているようにみえてしまいますが、実際には世界の仕組みを解き明かす議論を単純化しています。
算数や義務教育で習う数学は肝心の議論の中身をすっ飛ばして結論だけを述べているので、意味不明なんです。きちんと議論の順を追って行けば結論までの明快な道筋が提示されています。
数学を学ぶことの本当の威力は「出来上がった数式を使える」ということではなく、議論に要請される手続きの雛形を学ぶことで、迅速かつ正確に問題を解決できることです。
コンピューターは数学の手続きを電気的に行っているだけですし、二つの物体の動きからその規則を発見する物理学は数学の手続きを踏んでいます。
人間を外界からの入力を受けて出力を行う規則性だと捉えるなら、人間が行っている生物的、心理的な手続きも数学で説明できます。
つまり、数学の公理の要請を満たすものならどんなものでも扱えて、明快な説明ができてしまうのです。
学び始めは記号を弄って喜ぶ変態だけの学問だと思っていましたが、この視点で見ると本当に数学は面白いです。
演算の定義
どうして集合に演算を定義するのかを考えることで数学のやりたいことが少しだけ見えてきます。
数学において、二項演算(にこうえんざん、英: binary operation)は、数の四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念である。二項算法(にこうさんぽう)、結合などともいう。
二項演算
難しくはありませんね。
読んだまま。
もう少し数学的な言い方をすると二項演算は写像です。
写像はこの世界を単純化するために発明された数学の基本的な概念です。
集合 A 上で定義される 2 変数の写像
Wikipediaの定義
写像(演算)は集合の振る舞いを上手く説明するための規則のことです。
原子が集合なら、物理法則は演算。
どんな物質(集合)にどんな法則(演算)を定義すればこの世界をうまく説明できるのか?物理世界も集合とその演算を厳密に定義できれば数学で説明できます。
台集合
台集合は自然数から四則演算の定義を外したような、ただただ記号だけがあふれているような空間なので、そこでは数同士は独立しています。
ただ、自然数の1と2が独立していたら使い物になりませんよね。
「人間が知覚できる世界」を理解するためには1 + 2 = 3となるような規則の二項演算を自然数の台集合に定義すると使い勝手が良く、人間が知覚できる領域までならこれでうまく説明することができます。
数学が集合に演算を定義することを要請している理由です。演算を定義しなければ議論が進められないんです。
演算の例のように数学は真理を理解するために必要となる手続きを示してくれています。
どんな世界であれ、数学の要請を満たすことができるなら、数学が長い年月をかけて用意した様々な道具を用いて議論を迅速化し問題解決が図れます。
逆に言えば数学の要請を満たせない領域は数学で扱うことができません。
補足
数学の要請を満たせないとは、恐らく「人間の論理が及ばない世界」のことで、例えば「原因と結果」という構造を満たしていない世界です。そこから先は人間が理解できない領域だと僕は思っています。
宇宙の始まりの始まりの…といった堂々巡りや宇宙は最初からあったというような因果関係では説明できない領域のことです。
数学は、というか人間にはこの世界の本当の始まりについて議論する能力は授けられていないと思っています。
どうあがいても無限の入れ子構造を攻略できず、最終的には「神様が…」みたいな漠然とした議論に帰結すると思います。
数学は高度な論理を構築しますが、あくまでも原因と結果という人間の思考の型が土台となっています。
自然数の演算が閉じていることを要請しているのは、そうでなければ人間の論理で議論ができないからです。
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