スポーツの社会的な役割について考えてみる

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僕はボクシングやりながらこの業界はどんな未来になるだろうと時々考えることがありました。
つまりボクシングって社会の何の役にたっているんだろうと。

スポーツや歌手、俳優など娯楽を生み出すことの社会的な意義、役割とはなんだろうと。

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生産性を追及するなら

以下は僕の考えですので悪しからず。

何故こんなことを考えるかというと、現代は生産性を追い求めてどんどん無駄を削ぎ落すことを求める社会だからです。
国際的な熾烈極まりない競争にさらされている現代の資本主義社会では生産性の低い民族、国家、組織、個人は居場所を失ってしまいます。

日本は女性の社会進出を押し進め、年金の受給年齢を引き上ることで女性と老人も生産活動に動員し国際的な競争力を何とか保とうとしています。

その熾烈な競争のしわ寄せは内部に及びはじめていて、男女間や世代間、富の格差による職業階級間の分断を生んでいるように僕には見えてしまいます。
格差社会が進んでいるアメリカは最近のアジア人差別や歴史的な黒人差別など人種間の分断が深刻です。

社会の生産性を追求するために、物質的な文明を発展させるために、精神をすり減らす労働を強いられている一般大衆が著しく疲弊し、現行のシステムを嫌い始めたことでその崩壊が目前まで迫っているような気がします。
きっと、もうみんな金の為には働きたくはないんです。

ここまでして社会を発展させようとする、言い換えると精神をすり減らしてでも物質的な生産活動を行えという圧力が高まっているなかでエンターテインメントの役割とは何なのだろうと考えてしまいます。

スポーツも歌も映画も突き詰めていけば社会の発展には貢献しません。
もちろん小説や映画から新たな発想が生まれることは否定しませんし、スポーツや歌があるからこそ人は生きる活力を得られることも否定はしません。
いわゆるセレブの影響力が社会を変えないとも言いません。

ですが、何百人、いや何千人もの貧困層の生活を安定化させるだけの富をエンターテインメントのトップの人達がたった一人で保有していることの説明には弱い気がします。

もっと言ってしまえばコロナの収束、難病の新薬開発、教育制度の普及に従事する方々に支払われる、またその分野に投じられる資本を大きく上回っていることから大衆の目を背けることは、もうそろそろできないのではないでしょうか。

社会を発展させる能力、貢献度という意味ではスポーツ選手は新製品の生産に従事する会社員一人にも及びません。
ましてや数百人に達するような社会制度や文明発展への貢献度があるとはどう頑張ったって言えません。

大衆にまだ余裕があるからエンタメで大金を稼ぐということが成り立っていますが、生産性に勝る大衆が「エンタメなんて非効率いらね、その金をよこせ」と団結してしまえばそれで終わってしまいます。

具体的には戦争や大不況です。
大衆の余裕を奪う出来事が起こればエンタメどころではなくなってしまいます。
戦争でなくても、今の秩序が破壊されたり通用しない社会になったら。

平和だからこそ成り立つ

エンターテインメントは平和だからこそ、一般大衆に余裕があるからこそ成り立つ分野です。

だとすればエンターテインメント分野は平和の維持に尽力する必要があるはずです。
平和と秩序が崩れたら彼らは食っていけないどころか、貧困層の恨みを買ってすべてを奪われるかもしれないのですから。

そうやって考えた時にエンターテインメント分野の社会的な意義、役割は平和の維持、つまるところ富の再分配の機能を果たす必要性があるのではと感じるようになったんです。

もちろん稼いだ金を分配すべきだとか、しなければならないとは僕は思いません。

しかしそういった圧力が徐々にかかり始め、その一部を平和の維持に投資せざるをえないのではいかと僕は思うんです。
敵意や悪意による圧力ではなく、自ら進んで富を再分配することで尊敬を集められるという前向きな理由の圧力が最も大きくなるとは思いますし、そうできない人達はきっと人気を集められなくなり、必然的に資本主義的な豊かさを実現できなくなると思います。
もし一人でもそう考え行動する海外セレブが現れると大衆はその人を賞賛するでしょうし、そうなった場合、淘汰圧により金融資本に執着するセレブは駆逐され、人気の獲得のための寄付などによる富の再分配の競争が起こるようになるんじゃないかと思います。

今後格差がどんどん広がれば平和は維持できなくなります。
失うもののない貧困層はそのまま地べたを這いつくばって死ぬくらいなら今の秩序を破壊しようと試みる思います。
僕ならそうするからです。
悪意なんかではなく、子供の未来のためにみんなが暮らしやすい世界を作るという善意から今の秩序を破壊することを考えます。
家族や子供の未来を憂う人々の言葉は共感を呼び同じ境遇の人々を団結させるはずで、恐ろしいことに集団化は人間の判断力を奪い、英雄を目指した行動は過激化していきます。

精神を限界まですり減らさせてまで効率を追い求める社会です。
ただの娯楽としての意味だけでは存在を許してくれるはずがありません。

平和でなければ成り立たない分野だからこそ平和に対して投資するというのがエンターテインメントの社会的な意義になっていく、それができなければ廃れてしまうと今は考えています。

みんなで死ぬほど楽しんだ金で本当に死にそうな人を救えるなら誰も文句言わんでしょ。

書いてて思ったけどさ、人に楽しい話を聞かせてその金で恵まれない人を救うってゴータマ・ブッダやイエス・キリストやってたことだな。

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Die Hard – ダイ・ハード
この記事を書いた人

第41第東洋太平洋(OPBF)ウェルター級王者
元WBC世界同級34位
元WBO-AP同級3位
元角海老宝石ジム所属

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